過ちの契る向こうに咲く花は
そんな人間観察をしている間に、ボスは伊堂寺さんと話を進めていた。用意されていた新しい席はボスの真向かい――つまりは私の右側で、荷物を置きながら事情を説明している。
「社内の案内は」
「以前来たこともありますし、実際に過ごしながらの方が覚えやすいと思って断りました」
「そうでしたか。じゃあせめてこの付近だけでも簡単に……野崎さん」
予想外に早く来たなぁと呑気に構えていたら、突如ボスに名を呼ばれた。はい、と返事をするとボスがにこやかに命を下す。
「ささっと案内してあげて」
ああ、本来なら社長がしたであろう役目が私に。だけどまあ、するなら一番下っ端の私になるのは妥当だし異論はない。
「わかりました。野崎と申します。よろしくお願いします」
業務連絡用のノートを閉じ立ち上がって頭を下げる。
「野崎……?」
その間に何故か訝しむような声が聞こえたのは、気のせいではない。
「がんばれー」
そんなささやかな声が水原さんから聞こえてきた。ちらりと振り返ると、その顔はわりかし悪くない。現れた次男坊の印象はまずまずといったところなのだろうか。
では、と伊堂寺さんを引き連れ、部屋を出て右に折れる。
この付近と言っても、さして何もない。お手洗いと休憩所、会議室、階段と非常階段を案内すれば済むだろうと足を進める。
「ご存じかとは思いますが、役職名などはない会社なので、通例どおり伊堂寺さんとお呼びしていいでしょうか」
ただ道中無口なのもそれはそれで気まずいと、仕事に関する話題を振ることにしてみた。
「……構わん」
「何か雑用等あれば、遠慮せず私に言ってください」
「……ああ」
違和感は、たっぷり感じていた。
斜め後ろを歩く人物の、顔はよく見なかったものの、明らかに先程までと態度が違う。
さっきはまだもうすこし愛想が良かった。丁寧ではっきりとした受け答えをしていたし、声音だって穏やかだった。
なのに今はどうだろう。
返事は一歩遅れ。声は低く、ぶっきらぼうな印象を受ける。
もしや一番下っ端の女として、舐められてるかなぁと苦く思いながら、それでも努めて態度に出さぬよう、廊下を歩き続けた。
「ここが休憩所です。部屋はどこも禁煙ですので、煙草を吸われる場合はここか外へ――」
つきあたりまで来たところで振り返る。私より充分大きなその姿は、明らかに私を見下げていた。
「野崎、といったな」
「……はい」
きれいな顔、というのは雰囲気ひとつで怖くもなるんだな、と素直に感じる。
「お前が俺の婚約者か」
「……はい?」
そしてその美しい顔は、にべもなくわけのわからないことを言ってのけた。
「社内の案内は」
「以前来たこともありますし、実際に過ごしながらの方が覚えやすいと思って断りました」
「そうでしたか。じゃあせめてこの付近だけでも簡単に……野崎さん」
予想外に早く来たなぁと呑気に構えていたら、突如ボスに名を呼ばれた。はい、と返事をするとボスがにこやかに命を下す。
「ささっと案内してあげて」
ああ、本来なら社長がしたであろう役目が私に。だけどまあ、するなら一番下っ端の私になるのは妥当だし異論はない。
「わかりました。野崎と申します。よろしくお願いします」
業務連絡用のノートを閉じ立ち上がって頭を下げる。
「野崎……?」
その間に何故か訝しむような声が聞こえたのは、気のせいではない。
「がんばれー」
そんなささやかな声が水原さんから聞こえてきた。ちらりと振り返ると、その顔はわりかし悪くない。現れた次男坊の印象はまずまずといったところなのだろうか。
では、と伊堂寺さんを引き連れ、部屋を出て右に折れる。
この付近と言っても、さして何もない。お手洗いと休憩所、会議室、階段と非常階段を案内すれば済むだろうと足を進める。
「ご存じかとは思いますが、役職名などはない会社なので、通例どおり伊堂寺さんとお呼びしていいでしょうか」
ただ道中無口なのもそれはそれで気まずいと、仕事に関する話題を振ることにしてみた。
「……構わん」
「何か雑用等あれば、遠慮せず私に言ってください」
「……ああ」
違和感は、たっぷり感じていた。
斜め後ろを歩く人物の、顔はよく見なかったものの、明らかに先程までと態度が違う。
さっきはまだもうすこし愛想が良かった。丁寧ではっきりとした受け答えをしていたし、声音だって穏やかだった。
なのに今はどうだろう。
返事は一歩遅れ。声は低く、ぶっきらぼうな印象を受ける。
もしや一番下っ端の女として、舐められてるかなぁと苦く思いながら、それでも努めて態度に出さぬよう、廊下を歩き続けた。
「ここが休憩所です。部屋はどこも禁煙ですので、煙草を吸われる場合はここか外へ――」
つきあたりまで来たところで振り返る。私より充分大きなその姿は、明らかに私を見下げていた。
「野崎、といったな」
「……はい」
きれいな顔、というのは雰囲気ひとつで怖くもなるんだな、と素直に感じる。
「お前が俺の婚約者か」
「……はい?」
そしてその美しい顔は、にべもなくわけのわからないことを言ってのけた。