過ちの契る向こうに咲く花は
 そしてほんとうに、そのままエレベーターまで担がれていった。悔しいことに、そこまで誰ともすれ違わなかった。
 無言のエレベーター。重たい空気が充満していく。
 もちろん、そのまま伊堂寺さんの部屋へと身体は進んで行くわけで。

 警察を呼ぼうにも、鞄は伊堂寺さんの手に持たれていた。玄関まで来てようやく降ろしてもらえたけれど、その鞄は返してもらえない。
「警察、呼んでいいですか」
 ならばもう直接対決だと訴える。
「呼んだところでどうする。痴話喧嘩だと言えばそれで終わりだ」
 一蹴された。確かに私に大きな怪我でもない限り、警察はそれを信じるだろう。

「そんなに嫌か」
 何故、そこで伊堂寺さんにため息をつかれなければならないのだろうか。このひとに他人の気持ちをくみ取る機能というものはどこにいった。
「だって意味がわかりません」
 ここでじゃあ喜んで! と食いつく女性がいるだろうか。あ、いや、いるかもしれないけれど。私には無理だ。
「簡単なことだ。一ヶ月ほど、婚約者でいてくれればいい」
「だから、それが意味がわかりませんって言ってるんです。どうして決まっていた婚約を破棄してまで私なんかを選ぶんですか」
「お前のほうが色々都合が良さそうだと言っただろう」
「都合もなにも、結婚する意志もなければ、飾りで置いておくだけなんですから、誰だっていいでしょう」
「じゃあなんと言ったら納得する。一目惚れしたからだ、か? それとも野崎すみれよりお前のほうが良かった、か?」

 かちんときた。まさしくそれだ。
 このひと、ほんと、女をなんだと思っているのだろう。

「そもそも、なぜ無関係の私が都合よく使われなければいけないんですか。伊堂寺さんにメリットはあっても、私にはなにもないじゃないですか」

 広い玄関で思い切り叫んでしまった。よく響く。お隣に聞こえなかったかしら、と一応心配してしまった自分が恥ずかしい。そんなのどうでもいいだろう。それ以前に隣ってどこだ。

「それもそうだな」
「そうでしょう……って、は?」
 ところが伊堂寺さんはえらく冷静にそう言って考え出した。
 私としてはそこに真剣になられるとは思っていなかったのだけれど。
「だがお前にとってのメリットとは、難しいな。その分だと生活の提供では駄目だろう」
 しかも至極真面目に検討し始めている。

 妙な空気になってしまった。
 私の怒りは未消化のまま、行き場をなくしている。
 
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