過ちの契る向こうに咲く花は
 次の日の朝、予定通りに早めに支度を済ませ、私はひとり最寄りの駅から電車に乗った。幸い、いつも使っている電車と同じだったので、駅で出会わない限りは会社のひとに見られても大丈夫かもしれない。さすがに社員全員の通勤経路なんて誰も把握していないだろう。
 今日の夜からは自宅ではなく伊堂寺さんのマンションに帰って、晩ご飯を作らねばならない。不得手ではないけれど、何を作ればいいものか、と電車の中でレシピを考える。
 苦手な食べ物とかあったら面倒だなと思って、別にそれでもいいかと考え直した。特に注文を受けてはいないのだから。

 電車を降りて会社までの間にコンビニエンスストアに寄る。社員食堂には、今日も行く気にはなれないだろうとおにぎりとお茶を買う。
 朝から舌ったらずな店員の声をバックに外へ出ると、思わずそのまま固まってしまった。

 反対側の歩道を、野崎すみれさんが歩いている。
 向こうはこちらに気づく様子もなく、ヌーディな色のハイヒールで颯爽と会社に向かって歩いていた。ゆるくカールした髪が風になびき、ジャケットにストールを捲いたその姿は、まさしくできる女性社員の姿そのものだった。
 わかってはいたものの、ほんとうに私とは真逆のひとだ。

 羨ましさはもちろんある。だけど妬ましさはない。
 それはたとえば、実は自分の容姿に自信があるからとか、優劣をつけても負けていないからとかではなく。ましてや伊堂寺さんをめぐってのあれこれでもなく。
 単純に、自分らしい恰好をして、生き方をして、それを周りに受け入れられてきた環境が彼女にはあるんだろうな、と思うからだ。
 それが野崎すみれさんには滲み出ている。表情や雰囲気から。
 だから素直に羨ましい。私もああ生きる方向があったんだろうかと。

 妬むと、心が荒んで不細工になるから、それだけはやめなさい。
 それは母の教えだった。
 母は、何かを妬んだことがあっただろうか。

 息を大きく吸って、気合いを入れる。悲劇のヒロインごっこはもう終えたんだ。
 そう言い聞かせて会社へと足を向けた。

 会社に着いても、まだ自分の部署には誰も来ておらす、すこし棚の整理をしようと立ち上がる。以前、過去の資料がばらばらに並んでいるとボスが嘆いていた。せめてそれだけでも並べ直そうとキャビネットを開ける。
 自分が関わったもの、入社するずっと以前のもの。背にラベルは貼ってあるものの、確かに並び方は雑然としていた。どっちがいいか考えて、年代順ではなく製品名の五十音順に並べることにする。前回ファイルを探すときは製品名で探したからだ。
 
< 37 / 120 >

この作品をシェア

pagetop