過ちの契る向こうに咲く花は
 やっぱりあのときの違和感は間違いじゃなかった。この人はきっと裏表のあるタイプなんだろう。
 そう思っていたら、何が伝わったのか横目で激しく睨まれる。慌てて視線を逸らすと、歩道を楽しそうに歩いているカップルの姿が目に入ってきた。
 仕事帰りらしく、お互いスーツ。仲良く腕を組んで、顔もとっても朗らかだ。
 それに比べて、この車内はどうだろう。
 お付き合いも何も、今日会ったばかりの関係とはいえ。仕事帰りのお互いスーツだというのに、なんにも朗らかな雰囲気が存在しない。

 はやく真相を確かめて解放されたい。
 もし本当に婚約者、だなんて言っていたのなら、それは確実に間違いなのだ。
 だって私には、そんなのを紹介してくれる親戚も、お節介な近所のおばさんも、それどころか伊堂寺一族なんてものとの繋がりも一切ないのだから。

 いやそもそも、婚約者だなんて重要なもの、間違えるだろうか。
 ふんわりとしか知らないけれど、伊堂寺一族にもなればそういうのって、相当厳密に且つ慎重に選んできちんと事を進めてそうなのに。
 ならば伊堂寺さん自身が婚約相手のことを知らないのもおかしいだろう。よしんばまだ会ったことがないにしても、釣書つきの写真ぐらいは見たことあるはずだ。
 とすればやはり私の聞き間違いだ。きっと。

 まあ、それならそれで、なんで初対面の人に車で拉致されるのかがさっぱりわからないのだけれど。
 これから共に仕事をする仲間として食事に誘われたなんて、何万歩譲っても思えない。

 はあ、と堪え切れずにため息をついてしまった。
 しまった、と気づいたときにはもう遅い。

「不服か」
 音楽も何も流れない、エンジン音だけが響く車内で伊堂寺さんがこちらを見ずに言う。
「不服もなにも……」
 向こうが喋ってくれたおかげでほんのすこし力が抜けた。
 このままはっきりさせたい。そう思ってしっかり顔を見ると、何故か唇の端だけで笑われた。
「そっちの方が好都合だ」
 思わずその横顔に見惚れた、というのを否定しては嘘になる。
 何が好都合なのかは皆目見当もつかないものの、一瞬見せられた表情に言葉を失ってしまった。

 雰囲気が良いとか、年を重ねたとか、そういうのではなく。
 性に直結する色気を持っている人は、なかなかに厄介だ。

 ああ、自分もちゃんとこういうのに弱いんだなぁ、なんてどうでもいいことを先に考えてしまう。と同時に、だからと言ってこういう人を選ばないし、選ばれないしな、などど馬鹿なことを考え出す。
 それどころじゃないだろうに。
 おかげで次の会話のタイミングを失った。伊堂寺さんもそれ以上喋る気はないようだった。
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