笑わぬ黒猫と笑うおやじ
「これに書いてあったんだけど、親父からの遺言でね、撫子ちゃんを俺の店で引き取ってほしいって」
「えっ…」
塩谷さんの口から飛び出した言葉に、私は一瞬だけ目を丸くした。
塩谷さんのお店で、引き取ってほしい?それはいったい、どういう意味…?
訳が分からず黙りこくってしまう私に、塩谷さんが手短に話してくれた。
お爺さんの死後、このお店は畳もうと決めていたこと。
しかし、それだと私の職場が亡くなってしまい、困ってしまうこと。
だがしかし、丁度息子が店の店主を務めていたので、そこで働かせてもらおう、とのこと。
「……お爺さん」
私のこと、こんなに心配してくれてたんだ。
嬉しい反面、ニコニコと笑う塩谷さんに、少しだけ不安が募る。
どんな職場なのか?職場の年齢層は?男女比はどちの方が多い?
極度の人見知りである私は、そんな事で頭が埋め尽くされた。
それを、塩谷さんは汲み取ったのか、へらりと笑いながら、
「俺の店はね、バーなんだ」
「バー?」
「うん。お酒を出すところ。シックな雰囲気だから一人でも飲みやすいし、カクテルも美味しいよ」
「………お、酒」
バー、なんて、聞いたことも見たこともない。
私が知っているお酒を出すところなんて、居酒屋ぐらいだ。
そもそも、私は産まれてから一度もお酒を飲んだことがない。
そんな奴が、バーで働いても良いのだろうか?
ぐるぐるもやもやと胸の中で感情が渦巻く。
……気持ち悪い、吐きそうだ。
人見知りの私は、お爺さんと仲良くなるのだって時間がかかったのだ、また職場が変わるなんて…と気分が沈む。