モン・トレゾール

曲が始まると、店の照明は一段と暗さを増す。


確かに戸田さんはあの女の人を見て『梨花』って呼んだ。


私の存在を忘れてるみたいに、ずっとあの人のことを見てるし。


――やっぱり、このお店に来たのは彼女の為なんだ


それにしてもこの演奏……


「やっぱりな。全然まとまってない」


心の中で思ったことを代弁するように、戸田さんが溜め息交じりにそう呟く。


楽譜を目で追いながら、ただそれにならって鍵盤をなぞるだけ。


この演奏には感情というものが欠落しているような気がした。


「……ピアノがかわいそう」


無意識に口に出た言葉が、ずっと昔に自分も同じように誰かに言われたことがあるような気がした。


ピアノなんて、音大に進むことを諦めたあの時から触ってすらなかったのに。
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