モン・トレゾール
スッと離れた彼女の手には、ポタポタと大粒の涙が零れる。
「……本当に、ごめんっ、なさい」
嗚咽(おえつ)するその肩を抱き寄せると、彼女のこの様子にどう言葉をかけるべきか悩んでいた。
前にもこんなことがあった。
彼女の同期だった藤森早苗が、母親から受けた虐待とも呼べる行為から妄想にかられ自分の弟を使って彼女を車で轢き殺させようとした時も、その事故が原因で一時的ではあったが彼女は記憶を失った。
――だが、今回はあの時とは違う。
彼女自身が過去の自分を拒絶しているんだ。
さっきとは逆に、涙で濡れた頬に手を伸ばす。
「――そんなに嫌だった? キスするの」
当たり障りがないようにそう訊ねると、大きく首を横に振った。
「……っうして……どうして、こんなに涙が止まらないのか分からないの」
俺は宥(なだ)めるように彼女の背中を擦った。
もしかしたら、さっきの会話のどこかに俺の知らない彼女の過去と重なる部分があったのかもしれない。
記憶がない自分を責め、頑(かたく)なに俺との結婚も拒否した。
全てを忘れているわけではない。
だから、その分もどかしいのかもしれない。
「無理に思い出そうとしなくていいから」
「……っく、ごめんっ、なさぃ」
その夜。腕の中の彼女は、何度も"ごめん"を繰り返した。
俺が彼女を失った、あの日のように。