その指先で、濡れる唇
それにしても、わざわざこのグロスを木村さんが持っているということは今度も……。
彼はまた愛でるつもりなのだろうか。
私の唇を、その指先で。
まあ、それはそれで。
それなら、それで……。
きっと、そんな逢瀬も悪くない。
「ところで西尾さん」
「なんですか、木村さん」
つんとした言い方は、私なりのささやかなクレーム。
名前を呼んでくれないことへの。
なのに、木村さんときたら……。
わかっていてとぼけているんだか。
それとも、ほんっとにわかっていないんだか。
なんだか、ちょっとやきもきしちゃう……。
すると、彼はしれっとした顔をして言った。
「誘い誘われた俺たちは、これからいったいどこまで行くのでしょう?」
「そんなの……」
どこまでも……そう言えたらどんなにいいだろう。
いっそこのまま、すべてを委ねてしまえたら。
すべてを……委ねて、しまいたい。
けれども――。
「ああっ、電話だ。山口さんからですっっ」
そう……私たちがこれから行くのは「どこまでも」ではない。
歩いて十分ちょいのところのにある皆が待ってる洋風割烹。
あわてて山口姐さんからの電話に出ると、ようやく雨足が弱まって今がチャンスとのこと。
そういうわけで――。
『木村はもうほっといていいから。一人で早くいらっしゃい』
姐さん、そんなばっさり……。
でも、気の毒ながら木村さんの不憫さが妙におかしくツボにはまって、思わずぷぷぷと笑ってしまう。
『ん?ニッシー?』
『あ、すみません。木村さんとは資料室で会えたので、これからふたりでそっち向かいますね』
懸命に平常心で話そうとする私に、木村さんは見えないのをいいことにやりたい放題。
髪にキス、耳にキス、うなじにキス。
まったくもう、この性悪男めが……。