今日は、その白い背中に爪をたてる
案の定ボスから通すように指示を受けた受付嬢は、深々と頭を下げてカウンターから出ようとする。


しかし私はそれを手で制して自分で行くから結構よ、と彼女を座らせた。


すると先ほどの態度を気に病んでいるのか半泣きの彼女。


あら、仕方ないなあ。



「…実を言うとここへ来るのは初めてではないの、彼とは何年も前から知り合いでね。
本当は彼の携帯に直接電話すればいいんだろうけど知っての通りくどい奴でしょう?
めんどくさくて嫌なの。」



だから貴女達に頼む方がよっぽどまし。


‘‘くどい”の部分でプッ、と彼女も隣の女性も噴いた。


きっとボスの性格を知っているのだ。


私達はニッコリと微笑み合って別れ、私はエレベーターへと向かった。



「はあ、暑かった。」



クーラーの効いたロビーでのやりとりで大分汗がひいた。


エレベーターに乗り込み扉が閉まると、携帯のランプが点滅しているのに気がついて画面を見る。



『着信、瑞原晴斗』。



…いいや、無視しよ。


ガラス張りでさっきまでいたフロアが見下ろせる広い箱の中、壁にもたれかかって目を閉じるとシンとした空気が私を包み込む。



……嫌でも鮮明に思い出せる。



晴斗と謎のバーデートを終えてから数週間が経過していた。


あの日の夜からヤツはおかしいんだ。



「家まで送るよ。」



バーを出た後、ビルの前でしたのと同じようにバイクに跨ってヤツは言った。


家まで送ってもらうことなんて提案されたこともなければ頼んだこともなかった私は心底驚いた。



ーほんとは、嬉しいけど。ー



家まで送ってくれるだなんて、恋人のようだから。


けれど実際の私達は男の家かホテルで身体を重ねるだけの似ても似つかぬ間柄。


私は幸福感から緩みそうになる頬をなんとか引き締めて、イエスの言葉を飲み込んだ。
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