演劇部の記憶
わたしの質問に対し、マスターはそう答えた。わたしはこのときマスターの過去話を始めて聞いた。夫を亡くしていることもあり、マスターの思い出話を聞くということは今までなかった。
「どんな劇をやっていたの」
「まあ、安保反対とか当時ブームだった政治劇のたぐいね。学生は政府のような権力というものに楯突くのが時代の流れだったということもあるし……うん」
「権力に楯突くねぇ」
 高校に入って、野球部には男子しか入れないと顧問に言われ、中学までやってきた野球をやめざるをえなかった。大会には出られなくてもいいから、部活に参加させてほしいというわたしの願いは黙殺された。そんなわけで、最初は暇な放課後の時間をここでつぶしていた。そして、いつからか、授業だけ受けて帰るわたし自身の高校生活に価値を見出せなくなった。そして、授業をサボって朝からここに通うようになっていた。それでも高校からは、授業に出席しろと注意を受ける。野球部には出るなと言いながら。結局、大人は、自分が都合のいいようにする。
 わたしは、高校という権力に高校生活をつぶされたんだ。それを演劇に表現できないかな……。
「脚本」
 わたしは、弘のほうに手を出した。一瞬、弘が「えっ?」という顔をしたのを見てわたしは付け足した。
「脚本見せろ。先輩に劇に出てくださいと頼みにくるには態度があるだろ。参加するかどうかは脚本見てからだ」
 弘は慌ててわたしに脚本を渡した。
 わたしは、カップに残っていたコーヒーを一気に飲み、「明日の同じ時間にここな」と弘に言い、席を立った。わたしの背後で弘も「じゃあ、僕もそろそろ」といい席を立った。マスターは弘に対して、こそっと「今晩のおかずにしなさい」と言い何かを渡した。わたしはそれを見逃さなかった。「馴染み客のわたしにはないのか?」という気持ちもあったが、先に立ったのは、脚本というものを読んでどういうことになるのかわからない。後輩の前で無様な姿は見せられない。という気持ちだった。
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