センセイの白衣
次の日はもっと欲張りになって。

自習室に先生が来ないなら、自分から会いに行けばいいんだ、なんて思った。


先生が、普通科の化学も教えていることを知っている。

だから、昨日どうしても分からなかった問題を、聞きに行くことにした。


職員室の前で、何度も何度も立ち止まって。

ドアの取っ手に手を掛けたり、離したりを繰り返して。

やっとやっと、職員室に入った。



「失礼します。2年5組の横内晴子です。川上先生に用事があってきました。」



職員室に入るときの、決められたセリフを何とかどもらずに言う。

すると、机に向かっている川上先生が、こちらを振り返った。



「おいで。」



手招きをしてくれる。

それだけで、私はとっても嬉しくなって、小走りで先生のそばに行った。



「質問があるんですが。」


「なに?」


「化学なんですが。」


「は?化学?そんなの化学の先生に訊けよ。」


「だって、誰もいないじゃないですか。」



見回すと、職員室には本当に川上先生しかいなくて。

夏休み中の職員室とはいえ、日直の先生がいるはずなのに。

みんな、部活の監督に行ってしまっているみたいだ。


職員室を見回した先生は、納得したようだった。



「いないのか。じゃあ仕方ないな。それ、解答よこせ。」



先生は、私のつまずいた問題と、解答をにらめっこする。

解答を見ても分からないから、先生に訊いているんだけど。

先生、もしかして化学得意じゃないのかな。

教えていたくせに。


先生の弱点を見つけた気がして、なんだか嬉しくなる。


言われてみれば、先生は生物が専門なわけで。

専門外のことを教えなきゃいけないなんて、大変だな、と他人事のように思う。



「何だっけ、ほら、あの公式があるだろ。あれがあれば絶対分かるって。」



生物を教えてくれる時のクリアな口調とは大違い。

あの公式だの、あれだのって。

まあ、生物の先生に化学を訊いてる私が悪いんだけど。



「ちょっと待ってろ。」



そう言って、私を一人にして。

先生は近くの化学の先生の机から、勝手に教科書を取ってくる。

それを眺めて、お目当ての公式を私の問題集にすらすらと書いた。


あー、先生の直筆サイン、ゲットだ。



「ほら、これに当てはめるとこれが出るだろ?そしたら単位を変換して……」



やっぱり、先生は先生だ。

私のつまずいたところも、きちんと説明してくれて。



「分かったか。」


「分かりました。ありがとうございます!」



ほっとしたような川上先生。



「ところで、化学の宿題あと何問あるの?」


「あと、80問くらいです。」


「終わるのか、それ。」



出た。

先生の吹き出しそうな表情。

この顔を見れば、どんなにバカな失敗をしても、自分を許してあげられるから不思議だ。



「終わらないです~。」


「頑張れ!」



先生に頑張れって言われると、80問だろうが100問だろうが、余裕に思えてくる!



「今度は、生物の質問に来いよ。化学じゃなくて。」


「はいっ!」



ああ、嬉しい。

思わずにやける私に、先生は不審そうな目を向ける。

質問に来いよ、だって。



「失礼しました!」



しっかり先生に目を合わせて言うと、先生は小さく会釈を返してくれた。

質問に来てよかったって、心の底から思った。
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