溺愛御曹司に囚われて

ホール内は不思議な雰囲気に満ちている。
期待と興奮が入り混じって、今にも破裂しそうなほどの緊張感。

とても有名な音響設計家が手掛けたと言っていたし、複雑な構造らしい天井を見上げてみる限り、どこの席でもきっといい音が聞こえてくるのだろう。


「でもここなら、秋音さんの演奏する姿もきっとよく見えるもんね」


お手洗いの場所だけ確認して、おとなしく自分の席に座って待つことにした。
受付で渡されたプログラムに目を通す。

高瀬も今、この会場のどこかにいるのだろうか。

アナウンスが流れ、しばらくするとホールの照明が落とされた。
薄暗いステージの上に秋音さんらしき人の人影が現れると、会場が大きな拍手に包まれる。

スポットライトで照らされたステージ上で秋音さんがお辞儀をし、ヴァイオリンを抱えて脚を少し開き、背筋を伸ばした。

一瞬の静寂。
観客の意識は止まった時間の中に投げ出されたかのよう宙に浮く。

静寂と緊張を鋭いヴァイオリンの音が切り裂いた。

私は知らぬ間に息を止めていた。
鋭くて、それでいてやわらかい不思議な音色。
とても繊細で、それなのに力強い演奏。情熱的に歌うヴァイオリン。

秋音さんの人柄そのものみたい。
上品なのに大胆で、とてつもなく美しい。
少女のような純粋さと、女性らしいしなやかさと、どこまでも深みに嵌ってしまいそうな妖しい魅力を秘めている。

大きなコンサートホールは、秋音さんの奏でる小さなヴァイオリンに支配され、物音ひとつ許されない張り詰めた空気の中にのみこまれていった。

秋音さんの演奏が終わると同時に拍手が沸き起こって、立ち上がる人もいた。
彼女がいったんステージから姿を消して、オーケストラが入れ替わりに入ってくる。

そのあともう一度現れた秋音さんは、目の覚めるような真っ赤なドレス姿だった。
マイクを握って、聴衆に向かってお辞儀をする。
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