偽りの香りで
彼に背を向けて歩き出そうとすると、エントランスに向かっていた彼が私を追いかけてきた。
「待てよ。うちで飲むから付き合えっていっただろ」
彼が私の手首を強い力でつかまえる。
その感触に、胸がきゅっと苦しくなった。
飲み直しながら、私はまた彼の口から“彼女”のことを聞かされるんでしょう。
「帰る」
彼に背を向けたままつぶやくと、後ろから突然彼に抱きしめられた。
「帰るなよ。頼むから」
耳元でささやかれる切ない声音に、気持ちが揺さぶられる。
「既に相当酔ってるでしょ」
それでも彼を振り払わなければと腕を退けようとしたとき、彼が私のうなじに唇を押し付けてきた。
「タクシー乗る前に気づいた。今日のお前、あいつと似た香りする。何の嫌がらせだよ?」
彼の言葉にドキリとする。
「忘れようとしてんのに、忘れられないだろ」
彼がつぶやく声を聞きながら振り返る。
まっすぐに彼を見上げると、彼が戸惑ったように私から腕を離した。