愛が冷めないマグカップ



小林部長は不機嫌な表情のままだった。けれど、ほんの少しだけ、厳しい言葉の中にあゆみへの優しさが滲み出ていて、あゆみはそれが嬉しくもあり悔しかった。自分はまだまだ、何もできない。美味しいコーヒーをいれることくらいしか。


小林部長のほうがずっとずっと、浪岡さんのことを知っている。そう思った。




「…申し訳ありませんでした。…すぐにコーヒーいれてきます」




「ああ、頼むよ」




あゆみは小林部長にぺこりと頭を下げ、社長室をあとにした。




(わたし…なに調子に乗っちゃってたんだろ…。)




あゆみは急に心細くなってしまった。

やっぱり浪岡さんが心配だ。




いつも給湯室で、美味しいお茶をいれていた浪岡さん。お煎餅をお裾分けしてくれた浪岡さん。図面の見方や計測器、ノギスの使い方を教えてくれた浪岡さん。老眼鏡をかけて、品物とにらめっこしていた浪岡さん。病気なんかとは無縁の、元気なおばあちゃんだと思っていたのに。





(はやく戻ってきてくれないかな…)




給湯室でコーヒーをドリップしながら、また泣きそうな気持ちになった。






「どうしたの?桜庭さん」





優しい穏やかな声だった。





「笹原主任…」




「ひょっとして、浪岡さんのことかな?それとも、小林部長と何かあった…?」




笹原主任が後ろから、あゆみを覗き込むようにする。煙草くさい小林部長と違ってなんだかいいにおいがする。





「あ…、その、両方です…はい」





あゆみは笹原主任を直視できなかった。ちょっと距離が近すぎる。




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