その輝きに口づけを

1・あなたが悪い


 これは、青さんが悪い、と思う。
 自分が彼女にとって恋愛の対象外であることは自覚していた。これでもそれなりに女性のアピールを受けてきた身だ。異性としての好意と、友情の違いくらい分かる。
 だからぼくはせいぜい良い後輩でいてやろうと思っていたのに。
 そんなぼくの気も知らず、平気で服を脱ぐわセックスの話題を振るわ人の家に上がり込むわ。はっきり言って、男との距離の取り方が下手すぎる。普段は、見えない鋼鉄の壁で身を守っている癖に、気を許した途端不必要なまでに無防備なのだ。
 ――それに、この髪はいけない。
 ぼくは手の中の感触をさらに楽しみたくて、うなじからその美しい髪に手を差し入れた。
 触れた瞬間、さらさらと零れ落ちる、信じられないほどの心地よい指通り。絹よりももっと軽やかで、ずっと滑らかで、魅惑的で。この髪でその気を起させると言ったあなたは正しい。そしてその力を知っていながらぼくに触れさせた罪は大きいと思う。男慣れしていないから、は言い訳にならない。あなたはもっと自分の行動が引き起こす事態について自覚と責任を持つべきだ、青さん。
 右手で髪を梳き下ろしながら、左手を彼女の背中にまわすと、想像よりもずっと華奢な身体が腕の中で震えた。
 「あの冗談を、まに受ける必要は、ないのよ……?」
 取り繕おうとして失敗した、かすれ声で彼女はささやくように言った。完全に途方に暮れた表情。まだ状況を把握できていないらしい。ぼくはもう一度、喉の奥で低く笑った。
 背中にまわした左手を静かになでおろすと、彼女の身体がぎくりとすくみ、呆けていた瞳は余裕をなくして潤んだ。このような事態に、本当に慣れていないのだろう。そう感じるたびに、意外に思う気持ちが膨らんでいく。これほど目を惹く人なのだから、なんだかんだ言ってこう言ったことになれているのではないかと思っていたのだが、どうやら恋愛ごとに縁がなかったという彼女の言葉は本当らしい。
 ぼくは彼女の目をのぞきこんだ。これ程の初心者相手だ。逃げ道を用意してあげた方がいいだろうか?甘いマスカットの香りが漂う。その香りに惹かれて顔を彼女の髪にうずめた流れで、華奢だがしなやかな強さを秘めたその体を腕に閉じ込めた。――答えはNOだ。この臆病な獲物を、このまま逃がしてなるものか。
 髪の中に差し入れていた左手の指先でそっと首筋をたどり、鎖骨をなで、さらにその先へと手をなでおろしながら、反対側の首筋に口づける。固く棒立ちになっていた彼女の身体がびくりと跳ね、ぼくからその膨らみを引き放そうとするように身をよじった。ふくらみの中心を軽く指先で刺激すると、その動きが激しくなる。
 「か、かけい君、かけいく……んっ」
 ぼくの理性に訴えかけようとする彼女の声に逆にあおられて、思わず顔をあげて唇を押しつけた。もしかしてディープキスも初めてなのか。拙くたどたどしい呼吸と抵抗、パニックを起こして腕を振り回す彼女を抑え込むために、ぼくは唇を放し、自分の身体でぶつけるように彼女を壁に押し付けた。そのまま後頭部に手を入れ、自分の胸に彼女の頭を押しつけて、完全に抑え込む。
 しばらく腕の中で跳ねていた身体から、あきらめたようにくたっと力がぬけた。問いかける意味を込めてそっと腰をなでると、低く絞られた震える声が歯の間からもれた。
 「せめて、ベッドで――初体験が玄関でだなんて、あんまりだわ」
 この言葉に、心が動かなかったわけではない。こんな流れで、彼女の身体を奪ってしまうのは申し訳ないな――と思ったところで止められるものでもない。ぼくは黙ってうなずくと、彼女を抱きあげてそのまま足早に部屋の奥へ足を進めた。台所と部屋を隔てる扉を、ほとんど蹴り倒すようにして開ける。
 そんな僕を目の端でちらりと見上げ、青さんは今度こそ本当にあきらめたと言いたげにため息をついた。
 「この台詞聞いても止めんのかい。――このドSが」
 激しい鼓動と赤く染まった肌を持てあますように、彼女はそんなことをつぶやいたのだった。
 
 青さんは基本的に、シンプルな服装を好むようだ。夏は半そでの、冬は長袖のTシャツかYシャツに短めのスカートという格好以外見たことがない。豊かな胸と華奢な肩や腰が引き立つのがそんな服だということは間違いないのだが、彼女の場合は単に考えるのが面倒だからだろうと思う。
 そして、冬でもアウターの下はそのシャツ一枚しか身につけていないのだということを、今日初めてぼくは知ることになった。
 「青さん、これは無防備すぎるよ」
 ぼくはまくりあげられたシャツの裾から覗くくびれを撫であげながら、彼女の耳元でため息をついた。服の上から眺めるよりもはるかに見事な曲線、そしてその肌――はっきり言って、今まで触れたどの肌よりも滑らかでそそる感触だ。その美しい肌を隠すように肩をこわばらせ震える青さんの、見たことのない弱々しい姿に、自分すら知らなかった嗜虐心が頭をもたげる。なけなしの理性でそんな自分を抑え込んでみたものの、口元に広がる笑みを抑えられない。赤ずきんを襲う直前の狼は、布団の下できっとこんな顔をしていたと、何だか確信がある。
 「怖いこと、しないから――青さん」
 我ながらぞっとするほど嘘くさい声で、ぼくはささやいた。
 「手をどけて。身体、見せて」
 「やっ……!」
 胸を押さえて背を向けてしまった彼女の下着のホックをはずし、背後から抱き締める。そのまま右手で彼女の手首をつかみ、その隙間から左手を胸の間に滑り込ませると、かみ殺しきれなかった喘ぎが、かすかに彼女の口から洩れた。われ知らず、笑みが深まる。手の中の滑らかで柔らく、弾力のある感触に、獣のような唸り声が喉の奥から漏れ出たことにも、それが彼女を更に怯えさせたことにも、その時のぼくには気づく余裕がなかった。
 「ねえ青さん、脱いでよ」
 ぼくの熱のこもったささやきに、青さんは途方に暮れたように、潤んだ瞳でぼくを見上げた。これはわざとやっているのか?そんなわけないと分かっていながら、ぼくはこみ上げる笑いを抑えきれない。
 「はは、青さん、そんな目で見て――馬鹿だなっ」
 そう言って肩甲骨辺りまでたくしあげていたTシャツをするりと頭から引きぬくと、青さんが「わあ」と色気のない声をあげて飛び上がった。
 「ちょっとまって、まって!!お願いだから」
 「ごめん、無理」
 そう言い捨てて、今度は右手で脇腹を撫でた。そして、その下へ手を進める。ぼくの意図に気づいた青さんが、はっと身体をこわばらせた。
 「だめ、だめだってば!ちょっと、たんまたんまたんまぁ――っぁあ!」
 今までにないほど彼女の身体がはねた。ぴったりと閉じてしまった足の間から無理やり手をねじ込ませてさらに刺激を与える。触ってくれとばかりに胸が反り、ぼくは期待にこたえてその胸の先を愛撫した。
 「青さん、もうちょっと足開いて」
 「無理、無理い……やぁっ」
 息も絶え絶えに食いしばった歯の奥から彼女が返事をする。かわいい、かわいすぎる。思わずシーツを握りしめていた彼女の手に、自分の手を重ねていた。途端、縋るように華奢できれいな指がぼくの手を必死に握り返してきた。元凶であるぼくに、助けを求めるように。不思議な気持ちが湧きおこった。彼女をめちゃくちゃにしたいという思いと、真綿にくるむように、優しく、優しく愛したいという思いを同時に強く感じたのだ。
 そんな複雑な思いを込めて、優しく髪をなでる。少し乱れてしまった髪、その乱れを整えるように、手の中の感触を楽しむように。
 無心に撫でつづけていると、徐々に彼女の身体から力が抜けていくのが分かった。その隙に、もう一度右手を脚の間に滑り込ませると目の端に涙をにじませた青さんが、あきらめたような吐息をひとつつき、ぎゅうっと目をつぶった。それと同じ強さで、指をからめながら必死でぼくの左手を握りしめる。そんな彼女の手にキスをひとつ落とし、ぼくは愛撫を再開した。滑らかに光る肩にもくちびるで触れ、そしてそのまま胸の先を口に含む。軽く舌で転がしてから、ちゅっと吸い上げると、耐えきれずに美しい身体がしなる。
 無理に声を出せとは言わない。声を出さないよう必死に耐えてる姿にそそられた。それに、食いしばった歯の間や鼻の奥から耐えきれずに漏れた声の美しさと言ったら!それだけで天国が見れそうだ。
 「ねえ、青さん気持ちいい?」
 親父のセリフだと言われても仕方がないが、どうしても彼女の口からその言葉が聞きたくて、ぼくはささやいた。だがぼくの意に反して、彼女は力なく首を振る。
 「分かんない、恥ずかしい、恥ずかしい……こわい」
 ああ、この人はどれだけ僕をたまらない気持ちにさせれば気が済むのだろうか。
「青さん、本当に慣れてないんだね」
ほとんど感動すら覚えて、思わずこぼれ出たぼくの言葉は、だが彼女の中では違った風に解釈されてしまったらしい。その言葉を聞くなり、彼女はきつく閉じていた瞳を突然きっと見開き、目の前にあった枕を掴むと、力任せにぼくの顔に叩きつけた。

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