桜が咲く頃~初戀~
その夜は3人で布団を並べて休んだ。紀子達がおばぁちゃんの家に着いた時既に22時を回っていたからだ。彩未は香奈の隣で香奈の左手をしっかり握って離さないまま 深く眠りに落ちていた。香奈はその彩未の手を離さない様に気をつけた。


ー彩未の手って小さく柔らかいなぁー


香奈は天井からぶら下がった丸い蛍光灯の小さな橙色の明かりを見詰めてそう思った。


『香奈、起きてるん?』


紀子は右側の布団で香奈に背中を向けて寝ていたが香奈がまだ眠れずにいる気配を感じて声をかけた。

『……』


香奈は何も答えないままゆっくりと紀子の寝ている背中へ顔を向けた。


『調子はどう?お父さんの事、話してもいいかなぁ?』


囁く様に紀子は布団の中で少し体を香奈に向けると言った。


『うん』


香奈は紀子の向こうを向いた頭を見て戸惑ってしまった。紀子の髪には香奈が別れた時には無かった白い髪の毛が所々に散らばって蛍光灯の光にキラキラと光っていた。

『お父さんは家に帰って来てるんよ。あかんかった?香奈はお父さんの何が嫌なんやろ?お母さんが奥さんのいてるお父さんを好きで好きでたまらんかってん。あかん事をしてるって分かってたよ。分かってたけど弱かったをんか馬鹿やったんか?お父さんへの気持ちは押さえられへんかった。お父さんがお母さんを騙したんやないねん』


紀子はそこまで話すと溜息を深く1つゆっくりとついて身体を動かして天井からぶら下がっている蛍光灯の周りをバタバタと飛ぶ小さな虫に目を止めた。

そして目を閉じるとまた話し始めた。

『お父さんはね、お母さんの我が儘を許してくれたんよ。お母さんが香奈を1人で産んで育てるって決めた。お父さんとはこれ以上傷つく勇気も傷つける事も周りを巻き込む事にも疲れたのがほんまやねん。お母さんは勝手な事ばかりしたんよ』


そう言って紀子は唇をきつく噛んで押し殺した小さな嗚咽を漏らした。

香奈は胸が痛く紀子から漏れる嗚咽に切なくなって一緒に泣き出した。

紀子にかける言葉は何にも見つける事が出来ず毛布を頭まで被った。

ーお母さんー



香奈は右の耳たぶに何故だか止まらなくなって落ちる涙を枕に押し当てて拭いながらおばぁちゃんと一緒にお風呂に入っていた時に話しくれた恋の話を思い出していた。
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