ファンレター



十が息を詰まらせながら、人さし指の第二関節でメガネをすっと持ち上げた。



そんなことないって

お前だけは特別だって

そう言ってほしかったけど、あの日駅に行かなかった私は、十からその言葉を伝える資格を奪ってしまったんだ。



「もう少し歩くと、海が見えるよ」



話題を変えるように、十が言う。

小さな噴水の奥で、船の音が聞こえた。



「こっち来て!」



やっぱり子どもみたい。

十は私の前を、海面に広がる柵をめがけて走って行った。

橋の下を通る船を覗き込んで、くるっとこっちを振り返る。

背中で柵に寄りかかり、腕で自分の体を支えながら、後ろから歩いてきた私に視線を注いだ。

周りには、多分いくつかのカップルの姿があったと思う。

でも私の目からは、全てが消えてた。



目の前に十がいて、そこへまっすぐ歩いていく。

やがて隣で海を見た。

海はあまりに大きくて、私と十の間をとても近く感じさせた。




< 128 / 218 >

この作品をシェア

pagetop