恋文
「ふーんだっ!悠哉さん勉強、教えて!玲二さんより賢くなってやるかんな!」
プイッと頬を膨らませると、玲二さんの片手で、アタシの頬を掴まれた。
アタシの頬はペシャンコになって、タコみたいになる。
「くくっ…変な顔。タコみてぇ」
あ。玲二さんって、こうやって笑うんだ。
玲二さんのニヤッとした大人びた笑いじゃなくて、悠哉さんみたいな笑い方は始めて見た。
いや、でも、自分でやっといてそれはないだろ。
変な顔になってるのは玲二さんのせいなんですけどー。
「しょうやっへ、しゅぐ、びょうりょくをふりゅわないれくらはいよ。」
「暴力なんて、とんだ言われようだな。これは愛情表現だよ。ありがたく受けと、れ……。」
突然、玲二さんの目が大きく見開かれ、アタシの頬を掴む手の力が緩まった。
え?アタシ玲二さんを一時停止させるぐらい変な顔なの?
しかし、アタシの予想とは裏腹に、玲二さんの視線はアタシではなく、アタシの後ろの扉を見つめていた。
ゆっくりと玲二さんの視線の先を辿ると、そこには、扉の前に突っ立っている女の人がいた。
女の人は、今にも泣きそうな表情でアタシを見ていた。
「えっと…。」
何て言えば良いのか分からない。
店は閉まってるのに、とか、女の人の存在を不思議に思うよりも、女の人の悲しそうな表情に驚いたから。
「あっ、すいません。閉まってるとは知らずに、ごめんなさい。」
「えっ、いや!全然大丈夫ですよ!」
何故か、アタシが必死に受け答えする。
玲二さんは無言で突っ立ったまま。
「本当、バカだね。」
女の人はそれだけ言って店を出ていってしまった。
誰に言ったのか分からない最後の台詞。
それは自分自身に言ったのか、それとも玲二さんに向けて言ったのか。
アタシには分からないでいると、
「……………気にすんな。」
玲二さんが苦笑いをした。
「…追いかけなくて良い訳?」
珍しく、真面目な悠哉さんの表情に、ドキッと胸が鳴る。
玲二さんは何も言わず、カウンターの木目に目をやっていたが、しばらくすると玲二さんの方を見ようとしない悠哉さんを見やった。
「お前がそれを言うか。」
自嘲するような笑みを浮かべる。
悠哉さんは悲しそうに瞳を揺らした。
「玲二。」
今度は、2人の様子を見ていた先生が、ただ名前を呼んだ。
玲二さんはセンセの真剣な視線に、ひどく困憊した様子で下唇を噛んでいた。
玲二さんらしくもない、余裕のない表情。
なんとなく分かった。
あの女の人は、ときどき店に来る人で、アタシが休憩でいない時だけ、玲二さんと話す。
いつも1人でカウンターに座っていて、玲二さんを見ていた。
きっと、あの人は玲二さんが好きなんだ。
分かった。分かってしまった。
「…俺が追いかけても、あの人の気持ちには応えられない。これ以上、傷付けたくないんだ。」
ひどく冷静な表情に戻った玲二さん。
けど、それはあくまでも平静を装うだけの、偽りの仮面。
もし、あの女の人がアタシで、玲二さんが悠哉さんだったら。
そう考えるだけで、怖くなった。
悠哉さんは優しくて、温かい。
子犬のように笑って、好きな人にすごく一途。
だから、アタシの気持ちを受け入れて貰えなかったら…?
そんな覚悟は夏に決めたというのに、アタシはとんだ腑抜けだ。
アタシは悠哉さんが幸せなら、好きな人と結ばれたなら、それで良いと、それが良いんだと、自分に言い聞かせて来た。
けど、ダメなんだ。
それじゃあダメなんだ。
なんだかんだ言って悠哉さんの幸せを願っていても、結局、アタシは悠哉さんが好きだから。
悠哉さんの側にいたいと思う。
悠哉さんじゃなきゃダメなんだ。
アタシは本当に汚い。
本当に、悠哉さんの幸せを願うなら、アタシは悠哉さんから離れるべきだった。
怖いから。
悠哉さんのいない日々なんて考えられないと思ったから。
気付いていても、気付かないフリをした。
そうすれば悠哉さんと一緒にいられるから。
子供みたいに、何も分からない、知ろうとしない、悠哉さんに無害な存在であり続けた。
干渉しすぎない友達ポジション。
それは、1番、相手に近い立ち位置でもあり、1番、恋愛からは遠い立ち位置。
――アタシは悠哉さんが好き。
改めて実感すると、その気持ちは一瞬で大きくなる。
今まで押さえてきたものが、守ってきた立ち位置が危うくなる。
これだから嫌だったんだ。
これだから認めたくなかった。
あぁ。これだから恋って辛いんだ。