彼方の蒼
1.降っても晴れても
 降っても晴れても、いつも変わらないメゾソプラノ。
 告げられたさよならは、今もここにある。


   ◇   ◇   ◇  

 倉井先生が呼んでいる、と言いにきたカンちゃんの目が笑っていた。こりないヤツ——そう語っている。
 目配せするように笑いかえしてやった。まあね、の意味だったりする。
 僕は教科書を机のなかに突っ込んで、足早に美術準備室に向かった。
『女性を待たせるな』というのが、母親からの教え・その1。

 僕の描いた絵を、倉井先生は首をかしげて見ていた。
 乗り気でないお見合い写真をまえに、断りの口実を探しているみたいだ。
 僕には絶対の自信があった。抜きん出ている。好き嫌いの壁さえなければ、全員一押しの傑作。
 自信過剰? 悪いけど、言われたことはないな。
 油絵に関しては、この件だけは譲れない。他はぱっとしない僕の、唯一無二のとりえ。
 描くとき——そのとき、ありったけの情熱を注ぐ。魂をぶつけるような行為(だと思っている)。

「渡辺くん。私の言いたいことがわかりますか?」
 画材だらけで狭くなった美術準備室。ブルーグレーのスーツを着た倉井葉子先生が回転椅子をくるりと向けた。
 生徒に対しても『です・ます』調を崩さない、潔癖な26歳。きりりとしたまとめ髪。独身。
 
 倉井先生は生徒と向きあって困ったとき、にこ、と笑いかける。『にこっ』ではなくて、『にこ』。
 この微妙なさじ加減が、最高にかわいい。同級の女どもには決してできない芸当だ。
 そんなわけで、にこ、と微笑まれた僕は、わざわざまじめ声を作って返した。

「わかりません。教えてください。どうしたらいいのか」
「それは」
「どうしたら先生は僕を好きになってくれるんですか?」

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