彼方の蒼
けれどもそれは叶わなかった。
気配を察知したのか、倉井先生が腕をのけるほうが早かった。
「ありがとう。信じてくれて」
え、と僕は瞬く。
あたりまえのことを言ったまでなのに、どうして感謝されるんだろ。
そう思うと同時に、僕はその先の追究を即座に諦めていた。
僕のなかにそういった疑問が生じても、倉井先生は常日頃から煙に巻くようにうやむやに流してくれる人だった。
今回もまた教えてはもらえないものだと、勝手に思い込んでいた。
——卒業してからわかることなのだけれど、先生という職業を考えたらこれはおかしな点なのだった。
先生といったら、勉強も悩みごともまずは問題解決の手引きをしてくれるもの。
あいまいに流すのは正当なやりかたじゃない。
鋭い子なら勘付くのだろうけれど、僕はすでにこの人にのぼせ上っていたから、ずっとあとになるまで気づくことはなかった。
長い睫毛を伏せて倉井先生は言った。静かに響く声だった。
「惣山くんは、惣山くんにしか言えない言葉を持ってる。それが人を楽にさせてくれる」
褒められているのかな、と思った。
ぼんやりしていたから反応が遅れた。
僕が気の利いたセリフを繰り出すまえに、もうひとつ来た。
「結婚予定については石黒先生に言って白紙撤回となりました。先のことは言えませんが、すぐにという話ではなくなりました」
やった! と声を上げた僕に、倉井先生はすかさず言い放つ。
「それから、教師を呼び捨てにするのはいけません。石黒先生とちゃんと呼んでください」
うわー来たよ! 来たよ! これ!
いつか言われるだろうなと思って故意に呼び捨てしていただけに笑えた。
なんだかんだいって、僕はこの人に叱られるのが好きなんだ!
結婚白紙と合わせてしばらくは笑いが止まらなかった。