彼方の蒼
「こういうとき、なんて言ったらいいのかしら」
「なにが」
つっけんどんな物言いの僕に、倉井先生は驚くべき発言を寄越した。
「ボタンが欲しいとき」
聞き間違えたかと思った。
信じられない思いで僕は頭にやっていた手をベンチの背もたれと座面に移すと、倉井先生ににじり寄る。
十数センチの至近距離で見つめあうこと数秒。
そのあいだ、先生はなんの衒いもなくただ僕を純粋に見つめていたし、僕からの視線も真っ直ぐに受け止めてくれた。
「先生」
「はい」
「もう一回言ってくれない?」
「……やっぱり、いいです」
ふっと覚めたように倉井先生は顔を背けた。
「ああもう、わかった。わかったから受け取ってよ」
僕は急いでボタンをむしり取ると、先生の手に押しつけた。
欲しいって言われたからあげたはず。
なのになんでこーなっちゃうんだか。
渡されたボタンをじっと見ていた倉井先生は、どうしても僕のブレザーのボタン跡に目が行くようだ。
気になる? 妬いてる?
なにか言ってよ。この沈黙が嫌だ。
結局、僕が視線に負けた形で弁明をすることに。
「違うからね。知っていると思うけど、僕は倉井先生一筋で、これは欲しがる子がいたからあげちゃっただけ。ほら、今日は無礼講で」
「ちょっと重い気がしてきました。返します」
「だーめ。返品不可」
そう、返品は不可。
僕のボタンが欲しいと言ってくれたのも訂正不可だよ、倉井先生。
雲間から太陽が顔を出したのを潮に、僕は立ち上がった。
倉井先生をエスコートするかのように片方の手を取り、みんなのいるほうへ戻るよう促した。