彼方の蒼
 帰ったとき、母は闇のなかでソファーに浅く腰かけていた。
「うわ。電気ぐらいつけろよ」
 僕はコートを脱がないで、かばんから出した財布をポケットに突っ込んだ。
 冷蔵庫の中身はタマゴ6個、もやし1袋、にんじん1と1/2本、豆腐半丁……。
「春都」
 きゅうり2本、なめこ1袋、生ラーメン……は、乾いてダメっぽい。
「んー?」
 賞味期限ぎれのちくわに、青かびの生えたもち。
「美耶子サン、このもち早く食ってって言っただろー」
 ゴミ箱にダンクシュート。
 あとは変なもん……ないか? あ。
「スライスチーズも。空袋だけしまっておかないように」
 足りないものは……牛乳。一日くらい飲まなくたっていいけど、帰りが早かったぶん時間があるから、買いに行こう。
 ブーツのひもを結んでいるとき、母の様子がおかしいことにようやく気づいた。
 出勤前だというのに、ノーメイクだった。出勤前……なのか?
「美耶子サン?」
 リビングにとってかえした。
 自称35歳も、今日は無理があった。45歳の顔をした母がいた。
 末梢神経2、3本抜かれたんじゃないかってくらいゆっくりと、生気のない目を僕に向けた。

「父さんと、離婚したわ」
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