西山くんが不機嫌な理由
『あら、ようやく気が付いたかしら?』
突如背後から掛かった声に驚いて振り返れば、開いた扉に寄り掛かってこちらを傍観している凪の母親の姿があった。
一体いつからそこに立っていたのか、気配すら感じなかった存在に冷や汗が額を伝う。
『女って、言うほど複雑にできているわけではないのよ』
口を開いたと思えば、飛び出した言葉は到底理解に苦しむもので。
意味が分からずに黙りを決め込んでいると、くすり、頬を緩ませた凪の母親は言葉を続ける。
『男は単純だとか、よく言われるじゃない』
ぽつり、ぽつり、幼い子供を相手に語って聞かせるかのように、ゆっくり丁寧な口調。
全てをお見通しだとでも言いたげな瞳の奥は、妖しく微笑んでいる。
『あくまで自論なんだけどね』
『…………』
『女って、きっと男と比べものにならないくらいに脆くて、弱くて、儚くて、気持ちが複雑に絡み合っているの』
『…………』
『だけど、その複雑に絡み合った糸を解ける原因は、案外簡単なものなのよ』
話を聞けば聞くほど、その奥に隠された真意が窺えなくなってくる。
言語理解力は決して低くはないけれど、どうも彼女の言葉の裏を探ることは難しい。
眉間に微かに皺を寄せて考えを巡らせていれば、気が付いた凪の母親は困ったように苦笑する。
『あらあらあら、ごめんなさいね~。若いんだから、頭を捻らせるのも当然のことよね~。私ったら、配慮が足りなかったわ』
首を傾げて考え込む素振りを見せる凪の母親が、閃いたようににんまり口角を上げた。
『鈍感な西山くんにも十分理解出来る言葉で説明するとね』
『…………』
『“女の子が恋に落ちるのなんて、些細なことなの”』
言葉はそこで一旦途切れ、凪の母親が指を折りつつ再び口を開く。
『出会った場所、置かれた状況、時間帯、服装、相手との関係性、あとは……そうそう、例えば相手の名前すら知らなくても良いのよ』
『…………』
『恋に落ちる条件なんて、この世にはひとつたりとも存在しないのだから』