Dream doctor~心を治す医者~

断章 記憶

                     断章    記憶


    夕方までの雲一つない空など、どこかへ消え失せてしまったかのように、黒く濃い雲が月までも隠し空を支配していた。
    雨雲の隙間から漏れる微かな月明かりと淡い建物の明かりだけが、コンクリートに囲まれたこの暗い都市を照らしていた。

    雨が降り出した街並みを、二階の自室の窓から眺めていた松川陽奈は、昔のことを思い出していた。


    ―そう、ちょうど二年前。私が"獏"に取り憑かれ、兄の松川浩史の友人であった、Dream doctorと出会った日。
   
    ――彼女が犠牲になった日。あの時の直樹の表情は、今でも鮮明に覚えている――。




「カレン……!    なんでだよっ!    なんで風花を!   他にも手があったはずだろうが!    」

    私に取り憑いた"獏"を倒し、夢から戻って来たのは、Dream doctorの直樹と、カレンと呼ばれるロボットの少女の二人だけだった。
    
    ずっと眠っていた私は、最初何が起きているのか全く分からなかった。


    目が覚めた時、直樹はひどく取り乱していた。
    カレンの胸元を掴み、ものすごい剣幕で突っかかる。
    しかしカレンは何も答えず、直樹のされるがままになっていた。悔しそうな、辛そうな、なんとも言えない表情を浮かべていた。

    何も答えないカレンに諦めたのか、直樹は胸元を掴んでいた腕を下ろし、床に膝をついた。

「…………なんで……なんであいつが…………なんで……」

    消え入るような声だった。微かな嗚咽が聞こえ、大粒の涙が床にいくつもの染みを作る。

「カレンちゃん……風花とリュウは……?    」

    傍にいた浩史が恐る恐る聞くと、カレンは目を閉じ、首を横に振った。それだけで、兄は理解したようだった。
    直樹の涙。何も答えないカレン。泣きそうになっている兄。

    良くない事が起きたのは明白だった。
    でも、何が起きたかなんて訊けなかった。訊けるはずなかった。


    それから一日経って、私の夢の中で、Dream doctorと呼ばれた三人の弟子の一人。川崎風花という女性と彼女の従えていたロボットの二人が死んだのだとカレンから聞かされた。それだけだった。

    何が起きたのか、死んだにしてもなぜ風花の遺体、なぜロボットであるリュウまで、私の夢の中から出てこなかったのか。それに関することは一切教えてはくれなかった。

    カレンの目が、訊くなと言っているようだった。
    そんなカレンを見たのは、後にも先にも二年前のあの日以来だ。

    あの時は「マインドリカバリー」のことも何も知らなかったから、考える事なんて出来なかったけれど、そもそもこの機械はどうやって人を夢の中へと送り込むのか、サポート役として彼らに付いていった浩史から教えてもらう内に、私の中で一つの疑問が生まれた。

    このマインドリカバリーを使用する際。夢の中に介入する者と介入される者の二つに分けられる。
    両者は、本体へとコードで繋がれたヘルメットを被り待機する。
    そして、パソコンを通じて本体から特殊なエネルギーを流し、介入者の脳に電気信号を送り込み、身体、身に付けている物、全てをデータ化する。
    データ化された者はコードの中を通り、介入される者の脳に同じ電気信号を送り、精神世界を一時的にデータ化することにより介入を可能にする。そして、データ化された世界では、傷を負っても死ぬことはなかった。そういう仕組みだった。
    つまり、夢の中で怪我をしたとしても、死ぬほどの傷を受けたとしても。データ化された状態で死ぬことはまずありえない。
    死ぬにしても、戻って来てから死ぬはずだ。

    なら何故。彼女とロボットのリュウは戻って来なかったのだろうか。
    実は、それを可能にする手段が一つだけあった。

    夢の中から戻って来なかったその理由――「削除(デリート)」だ。
    「削除(デリート)」――それは、言葉の通りデータ化された生物を削除し、跡形もなく消滅させてしまう、Dream doctorが従える三体のロボット達にしか使えない能力だった。
   
    ここからはただの推測に過ぎない。しかし、恐らく二人は夢の中で何らかの事情があり、カレンに「削除(デリート)」を命じた……そういうことになるのだろう。

    しかし、それもただの推測。本当のところはあの日夢の中に入った、カレンと直樹以外知る者はいない。今も謎に包まれたままだ…………。
   

   
    昔のことを考えていた陽奈は、その考えを振り払うように首を横に振った。

    窓から離れ、スタンドの淡い灯りが灯った机へと近付き、スマホを手に取った。
    画面を開きロックを解除する。画面を見つめしばらく思案する。

    ―きっと、まだ寝てないよね……

    決心した陽奈は、メールアプリを開いた。
    連絡帳から「大橋直樹」を選び、メールの編集を開始する。


    直樹さん  件名:こんな遅くにごめんなさい

    本文:もう寝ちゃいましたか?    こんな遅くでごめんなさい。来週の日曜日大学が休みなので、久しぶりにそっちに遊びに行きますね!    お土産持っていきます!    (*`・ω・)ゞカレンちゃんにもよろしく!

    内容をしっかりと見直し、メールを送信する。
    ふぅ、とため息をつき、画面閉じた。
   
    あれから二年経つ。夢から覚めた18歳の私は、直樹を初めて見た時、怖い人だと思った。
    でも直樹は、自分の夢の中で人が死んだという事実に罪悪感を覚え、部屋に閉じこもっていた私に、毎日会いに来て、

「君は悪くない。君は何も悪い事はしてないんだよ」

    そう励ましてくれた。たまにカレンもやってきては、直樹の発明した変わった道具達を私に見せてくれた。
    そんな二人の心遣いが嬉しくて、私は元気を取り戻していった。

    今でも、大学が休みの時なんかはたまに遊びに行っている。
   
    ―彼に会いたい。

    心の中に芽生えるこの淡い感情を、直樹に対する好意だと気付いたのは最近だ。
    どんどん彼への気持ちが強くなっていくのも感じていた。

    彼に気持ちを伝えたい。私の気持ちを知ったら、彼はなんて言うのだろう。でも、告白なんて出来るはずもない。
    きっと直樹は、今でも恋人だった風花のことを愛している。叶うはずがない。
    それ以前に、私の代わりになった風花さんを裏切るようなそんな真似は出来なかった。

   
    ……♪♪♪〜……♪〜……♪♪♪〜

    メールの着信音が鳴り、手に持ったスマホが振動した。
    ハッとなり、画面を開く。直樹からだった。

    直樹さん    Re:お土産いつもありがとう。カレンにも言っておくよ。いつでも遊びにおいで

    短いメール。たったそれだけの返信で陽奈の心は喜びに溢れた。

    陽奈はメールを何度も読み返し、ニコニコしながら窓際のベッドへと横になった。
  

    街を覆う雨雲は、微かに差し込む月明かりまで完全に奪い、横殴りに降り注ぐ雨は、どんどん激しさを増していった―――。        
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