呉服屋の若旦那に恋しました
俺の知らない人と、
普通に恋をして、
普通に結婚して、
俺の知らない街で、
普通の暮らしをして、
普通の幸せを築いて、
俺の知らない衣都の一面が増えていって、
それが当たり前になっていって、
いつか俺のことを年に数回しか思い出さなくなる。
そんな未来を、正直今の俺ではとてもじゃないけど願えないよ。
手離せるのも愛だと言うけど、もし手離さずに粘って愛を紡げたら、それが一番いいじゃないか。
この、赤い糸を、彼女が結んでくれたなら。
「……まだそれ持っててくれてたの?」
……いつの間にか、五郎の声がピタッと泣き止んでいた。
そのかわりに、閉まっていたはずの障子は開いていて、虫の声は大きくなり、背中にはぬくもりが感じられた。
背後からのびた手が、俺が指に絡めていた赤い糸をなぞった。
「志貴、ただいま」
……そう言って、ぎゅっと後ろから抱きしめられた。
3日間聞けなかった彼女の、……衣都の声が、耳元で聞こえる。
俺は、突然のできごとにもちろん驚いたが、じわじわとものすごい安心感に包み込まれた。
―――衣都だ。衣都が、今、ここにいる。
自分の意思で、俺の元へ帰ってきてくれた。
俺はすでにそれだけで泣きそうになってしまったのに、衣都は言葉を止めなかった。
「……寂しかった、志貴に、会いたかった……っ」