僕と御主人(マスター)の優雅な日常
お名前を教えてくださいませ。
僕がロシュジャクラン家にお仕えすることになったのは、急なことだった。
ロシュジャクラン家の御子息が従者を募集している。そう御触れがあったのは、わずか一年程前。ロシュジャクラン家の御子息がどんな方なのかは周知されておらず、興味本位で応募した者もたくさんいたのだとか。
僕はといえば、もし選ばれたら貴族と縁ができると考えた両親に、いつの間にか書類を出されていた。
「セドリア! チャンスよ! 選ばれてきてちょうだい」
母の声に背中を押されて、僕は気の進まないまま最終面接に向かった。
従者といえば男がやるもので、女はメイドとして貴族に仕える。僕は性別上は紛れもなく女なのに、何故最終面接に残ってしまったのか理解できなかった。
最終面接に残ったのはどうやら10人で、見る限り性別上の女は僕だけのようだった。残りの9人が訝しげに見てきたが、何故ここにいるのか一番聞きたいのは僕だと言ってやりたい。
面接とは名ばかりで、何も聞かれなかった。颯爽と現れた一年前の御主人(マスター)は、僕を指さしてただ一言、
「お前だ」
そう言っただけだった。
「え!?」
絶対選ばれないと思っていたのに。何故・・・? 言いたいことだけ言って背中を向けた御主人(マスター)に、ついていくしかなかった。
「あの・・・」
「なんだ?」
「お名前を教えてください」
今日から仕えることになってしまったこの方の名前を、僕はまだ知らない。御主人(マスター)といえば、名前も知らずに応募してきたのか?とでも思ったのか、怪訝そうな顔をしていた。
「失礼は承知です。今日からお仕えすることになったのですから、お名前がわかりませんとお呼びできないので」
怒っているのだろうか? いや、違う。なんだか不貞腐れているような・・・
「あの・・・」
「言いたくない」
「え?」
「私のことは御主人(マスター)と呼べ。名前は・・・知らなくていい」
そんなわけにはいかない。
「お名前を教えてくださいませ」
「・・・・・・ミ」
「?」
余程言いたくなかったのか、声が小さくて聞き取れなかった。
「・・・ レミ・ド・ラ・ロシュジャクランだ」
「レミ様ですね!」
「名前で呼ぶな」
整った色白のお顔が少し赤い。
「何故です?」
「・・・レミ、だなんて、女みたいじゃないか」
「・・・」
あそこまで頑なに名前を教えるのを拒んだ理由がそんなことだなんて。思わずお腹を抱えて笑ってしまった。・・・今はそんなこと絶対できない。無知とは恐ろしいもんだ。
「笑うな」
「すっ、すみませっ、だって、そんなこと・・・ぶはっ」
耳が真っ赤になって、恥ずかしがっているのがわかった。
「僕が笑っているのは、そんなことじゃありませんよ。そんなこと気にしてお名前を教えてくださらなかったからです。僕は素敵なお名前だと思いますよ」
返事はなかったけれど、その瞳を見れば僕を受け入れてくれたことがわかった。
「これからよろしくお願いしますね、御主人(マスター)」
レミ様と声に出して呼ぶことはないけれど、御主人(マスター)と呼ぶ度に、心でレミ様と呼んでいる。
懐かしい思い出に浸った、休息時間のひととき。
【End】