僕と御主人(マスター)の優雅な日常
美しい花には刺がございます。


御主人(マスター)こと、 レミ・ド・ラ・ロシュジャクラン様にお仕えすることになって一ヶ月ほどのお話。


「おはようございます」

「おはよう」

御主人(マスター)の朝は早い。朝から紅茶を飲みながら、細長い指が新聞をめくる。ちなみにその日の紅茶はアッサムだった。 コクのある強い味わいで、芳醇な香りがするのが特徴的な紅茶だ。

「だいぶマシになったな」

「ありがとうございます」

いつの日か「美味しい」と言わせたくて、毎日紅茶の淹れ方の練習していた。紅茶にこんなにたくさんの種類があったなんて知らなかったし、僕は日々成長していたと思う。そんなとき、僕は庭の花の世話を任された。


「庭に花がある。毎日見てくれ」


それは構わないのですが・・・。例えばなんの花だとか、何をすればいいのかだとか、具体的な指示が欲しかった。いえ、御主人(マスター)にそんなことを聞くなんて愚問だってことぐらい、出会って一ヶ月経てばわかりましたよ。

朝食の後、御主人(マスター)は僕に鍵を渡した。

「なんの鍵ですか?」

これも今思えば愚問だった。御主人(マスター)のあの時の視線といったら・・・。

「・・・庭の鍵だ。セドに預ける」

「かしこまりました」

それは小さな鍵で、紐がついていて首にかけられるようになっていた。僕は任されたことが嬉しくて、その鍵をいつも肌身離さず首からかけている。



庭に出て、鍵のかかっている庭を探す。うーん、表現的に違和感を感じるかもしれないけれど、ロシュジャクラン家はそれほどまでに敷地が大きくて、本当に庭の中で庭を探しているようなものだった。

「ここかな・・・?」

やっと見つけた鍵のかかっている庭は、レンガの壁に覆われていて中が見えなかった。はやる気持ちを抑えて鍵をまわすと、カチャッと音を立てて扉が開かれる。

「わぁ・・・」

思わず感嘆の声が漏れた。それほどまでに素晴らしい庭。なんの花が咲いていたと思う? 美しいのに絶対零度のような視線で見てくる御主人(マスター)にぴったりの花だった。

赤、白、黄色、ピンク・・・もうわかるでしょう?

鍵のかかった庭に咲き乱れていたのは、薔薇だった。僕はこんなに見事な薔薇を見たことがなかった。これを毎日見てくれということは、世話をしろということじゃないだろうか・・・? その日は土曜日だったから、次の日に行った図書館では薔薇の育て方を一生懸命本を読んで勉強した。

御主人(マスター)の言葉の解釈は間違ってなかったようで、僕がちゃんと薔薇のお世話をしているか時々見に来る。御主人(マスター)は足音を立てずに移動するというなんとも必要のない特技をお持ちでいらっしゃるから、初めて見に来たときは驚いて薔薇の刺で指をケガしてしまった。

「イタッ」

痛かったこともあるけど、いろんな意味で忘れられないケガになった。もう傷も残っていないけれど、今でも右手の人差し指を見ると鮮明に思い出してしまって、赤面してしまう。

僕がケガをしたと気付いた御主人(マスター)は、右手をうやうやしく掴み、ぷっくりと血が出ている人差し指を・・・そのっ・・・口に含んだ。ハイ、含マレマシタ・・・。

「・・・んっ、御主人(マスター)・・・」

自分でも女みたいな艷めいた声が出てびっくりした。御主人(マスター)の熱い舌が傷口を舐めて、薄い唇が指を吸う。

「あっ・・・、大丈夫ですからっ」

わけのわからない初めての感覚に戸惑って、あたふたとしてしまう。ちゅうっ、と音を立てて離された指の血は止まっていた。恥ずかしすぎて御主人(マスター)の顔が見られなかった僕に、御主人(マスター)はこう告げた。

「唾液には治癒を早める酵素や痛みを和らげる効果がある」

はい? えっと・・・それでそんなことを? なんて聞けなかったけれど、御主人(マスター)の表情を見る限りそれで間違いないようだ。それなら自分で舐めてもよかったんじゃないですかだとか、そもそも足音を立てずに近付くのをやめてくださいだとか、言いたいことはたくさんあったけれど。とりあえず。

「えっと・・・ありがとうございました」

御主人(マスター)の善意だからね、これは。変な声が出たことは忘れよう。御主人(マスター)に他意はない。満足そうに頷く御主人(マスター)を少し変わっている人だと思いだしたのは、この頃だったかもしれない。


【End】

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