真夜中の猫

猫さやか

「いらっしゃいませ。」
寛美の声が響いた。
寛美は帰ってきてすぐに学生の頃バイトしていたレストランでバイトを始めた。アパートも近く、まるで昔に戻ったかのようだった。今は昼間のバイトなので、掃除をしたり開店前のしこみをしたり、それはそれで楽しかった。
亮も仕事探しをしていた。慣れないスーツを着たりして面接に通っていた。
アパートは新しくはないけど、2人には広すぎる2LDKで、西向きで夕陽が眩しかった。隣りには大家さんの子供夫婦が住んでいたので悪いことは筒抜けだった。場所は寛美の通っていた看護学校の寮の近くで土地勘もあった。
懐かしい道を自転車でバイト先へ向かうと、本当に何もかも元に戻った気がした。帰るとそこは2人の部屋で、亮の帰りを待って夕食の用意をするのはとても幸せだった。まるで新婚生活のようだった。

亮はいろんな会社の面接を受けていたが、営業には自信があったようで、家庭用発電機器の営業の仕事についた。とにかく稼がないといけないと思っていた。前の仕事を辞めてからずっと毎日が虚しかった。やることもなく、以前のようにパチンコに行って稼いでも満たされなかった。寛美が働いて帰って来るまで家でゲームをしていたりすることもあった。
そんな自分に嫌気がさして社会に出て行きたかった。
仕事は車で各地を回り、商品の案内をし契約ができれば歩合制で給料がもらえた。自分のやったことがそのまま結果としてもらえるのが嬉しかった。

休みの日には2人で近くのスーパーに夕食の買い物に行き、近くの河川敷を散歩したりなんかした。
夜は2人でゲームにはまり対戦しては寛美が負け、悔しい想いをした。亮が1人でゲームに夢中になっていると目隠しをしたりして邪魔をした。寛美は亮にちょっかいを出して構ってもらいたがった。
窓際に置いたベッドで毎晩2人で眠った。シングルベッドで狭かったが2人にはちょうど良かった。
ベランダから見えるのは幽かな月明かりと静かな街並みと高速道路を時々走る車のライトだった。
2人にとって穏やかな生活が続いた。

その頃、寛美のバイト先に猫が居つくようになった。
まだ小さく鳴き声は何もかもとかしてしまうほど甘く、小さな声でないていた。人懐こく、寛美にもすぐなついた。毛色は茶色く直ぐに雑種とわかる女の子だった。
猫好きなママさんと可愛がっていたが、飲食店の看板を掲げている以上、表立って可愛がることはできなかった。それで、しばらく店の裏の倉庫当たりにご飯を置いて、人目につかないようにしていた。
とは言え季節は木枯らしが吹き付ける12月。店の中から時折目をやると倉庫の上で寒そうに丸くなって目を閉じていた。お腹がすくと裏戸をカリカリとたたき、あの甘い声で鳴き続けた。
客にも気づかれることもあったが、出来るだけ聞こえないふりをして平静を装った。
「うちじゃあ飼えないから、誰か可愛がってくれる人いないかな?」
ママさんはマンションなのでいくら好きでも飼えないのだ。そういうところは真面目だった。
「寛美ちゃんのとこはダメ?いつまでもこのままじゃマスターがダメっていうんだけど。」
マスターはただ単に猫が嫌いだった。
「ウチですか?うちもアパートだけど一匹ぐらいばれないかな?」
寛美はこういうところは反社会的だった。確かに猫は好きだったし、今の家に猫がいてくれるともっと楽しくなるような気がした。
寛美はバイトを終えると、猫を抱きかかえその冷たい体を自分のマフラーで包み抱きかかえた。
「これからおうちにかえろ。」
自転車は片手で運転し、時々猫の様子を伺いながら家路を急いだ。
アパートに着くと人に見られないように足音をたてずに静かに部屋に入った。とりあえず古い方からバスタオルを引っ張り出して、コタツの横にベッドを作った。猫は寛美から降ろされるとあたりの匂いを嗅ぎ、ふすまや壁に体をこすりつけながらないていた。その間に寛美は引っ越しで余っていたダンボールを切り、中にキッチンペーパーをしいてトイレを作った。そして、冷蔵庫から牛乳を取り出し皿についでおいた。するとお腹を空かせてたのか寛美の足元でペロペロとミルクをなめ始めた。
冬の陽が落ちるのは早く、6時には外は暗くなっていた。
亮はいつもは帰りが遅かったが、その日は早めに帰って来た。
「これ、どうしたの?」
「前話したお店の猫。もらって帰っちゃった。外には出さないから一緒にいていいでしょ?」
「しょうがないな。」
亮は硬派を装っているが、可愛いものが好きなところがあった。子猫も例外ではなかった。猫はすぐに亮にもなつき、あぐらを組んで座った亮の膝に寝転びピンク色の小さなお腹を見せびらかせ、ノドをゴロゴロ鳴らしながらあまえてきた。つい亮の手が猫を撫でた。
「この子、名前は?」
「まだ決めてないんだけど、女の子だからかわいいのがいいね。」
「どんな?」
「さやかなんてどう?」
「人間みたい。」
「いいもんね。さやかちゃん!」
寛美は亮の膝でゴロゴロと甘えていたさやかを抱きかかえた。
それからは毎晩寝る時は亮と寛美の足元にさやかがもぐりこんで寝るようになった。さやかは温かくゴロゴロと喉を鳴らす音も寛美には心地よかった。まるで2人の子供のように可愛がった。それは亮も同じだった。
「ねぇ、いつか子供ができたら名前はさやかにしようね。」
「いいね。きっと可愛い子だね。」
寛美は未来の幸せな暮らしを夢見てとても幸せだった。」


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