真夜中の猫

シグナル

亮のプロポーズから、寛美は結婚のことで頭がいっぱいだった。
いつかは、とは思っていたが思いも掛けない出来事だった。
本屋では今まで見向きもしなかった結婚雑誌を手に取り式場や流行りのドレスにヘアメイクと中身を見尽くしては微笑んでいた。あの式場がいいけどアクセスが悪いとか、貸切にすると別途料金がいろいろかかるとか、変な心配ばかりしていた。
いいタイミングで職場の先輩の結婚式に呼ばれ、未来の自分と重ね合わせてうっとりと見ていたりした。
亮は相変わらず仕事漬けで、キャリアアップのため宅建の勉強を始めた。資格をとって認めてもらいたかったし、資格がないとできない業務があり壁を感じていた。寛美の盛り上がりをよそ目に必死で勉強していた。
たまに一緒にいる時でも、2人は違うことをし、そうやって少しづつ2人の会話もすれ違っていった。

季節は大寒を迎え、猫のさやかは発情期に入った。寛美に誘われたかのようにミャーミャーと亮の邪魔をした。外に出すつもりがなかったので去勢はしていなかった。昼間はまだいいが、夜になるとベランダに向かって大きな声でないていた。
その声を聞きつけたのか、大家から連絡が来た。
「おたく、猫飼ってない?うちはダメって知ってるよね。今度見かけたら出て行ってもらうよ。」
「気をつけます。」
事実上の退去宣告だった。
亮と初めて同棲した思い入れのあるアパートで、割と気に入っていたが新しいアパートを探さないといけなくなった。
結婚で舞い上がっている寛美にとってはどうせ引っ越すなら、将来のことを考えて今より広くて新しいアパートが良かった。
猫が飼えるところを探したが、廃墟のようなアパートしかなかった。
寛美が気に入ったのは軽量鉄骨の2階建ての築浅の物件だった。近所はみんな小さい子供がいて明るい雰囲気で、寛美の想像する未来に重なった。だが、猫はダメだった。
亮も不動産業者として動物のトラブルは1番面倒だったが、さやかを手放すことは頭になかった。
反社会的な2人はさやかも連れて新居へ引っ越した。
新しいアパートは今時の間取りでキッチンも広く寛美の母性本能をくすぐった。ここでの新婚生活を夢見ずにはいられなかった。
引越しがすむ頃にはさやかの発情期は終わり、静かな生活が戻ってきた。
このころ、亮は職場を変えた。
より名の通った不動産会社だった。テレビCMでも見かけるような会社に引き抜かれた。亮にとってはやっとつかんだチャンスだった。今まで行き当たりばったりで来たのが、いい巡り合わせのおかげでやっとスタートラインに立てた気がした。これからが亮の頑張りどころだった。
しかし、寛美は転職を繰り返す亮に苛立っていた。せっかく生活の基盤が整ってもそれを全部壊される気がした。亮は仕事の事はほとんど話さなかったし、寛美も聞かないようにしていた。それよりも結婚式をどうするのか話し合いたかった。
「式場とかって半年前には決めないといけないんだって。」
「大変だね。」テレビゲームをしている亮の横顔が答えた。
「いつ頃がいいと思う?6月にするならすぐに準備はじめないと。」
「今は忙しくって無理。」
「じゃあ秋とか?」
「うーん、どうかな。」
寛美はため息をついた。話にならない。興味を示さない亮に苛立ち結婚する気ないんだ、とむくれた。そんな様子にも気付かないで、亮は格闘ゲームで勝ったらしくガッツポーズをきめた。
寛美は諦めてさやかを抱き上げ膝にのせ、のどもとを撫でてあげた。
さやかはクルルクルルと気持ち良さそうに喉を鳴らした。
ふと、亮の携帯が鳴った。メールのようだった。時間は20時をまわり2人の時間を割いて入ってきたメールは、寛美には敏感に反応した。亮はゲームの手を止め返信をしているようだった。寛美の話には顔すら向けないのにと、更に腹が立った。
寛美はさやかをあやしながら亮の様子をうかがっていた。多分親しい間柄なんだろう、優しい顔してる。
返信してしまうと亮は携帯を机の上におき、ゲームも片づけた。
「お風呂はいってきていい?」
「どうぞ。」
亮は立ち上がり着替えを出すとお風呂場へいった。
残されたのは寛美とさやかと亮の携帯だった。
それは異常な存在感を醸し出していた。明らかに寛美を誘っていた。今まで亮の携帯に関心を持ったことなんてなかった。それが今寛美に話しかけるように親しみを持ちかけてきた。
さやかを撫でている手を休め、寛美は携帯に手を延ばした。
お風呂場からはシャワーの音が聞こえた。寛美の鼓動が響いた。
携帯の受信メールをひらいた。
明らかに女とわかる文面と言葉遣いで送られていたメールは一度ではなかった。それにきっちり返信をしている。女の方は明らかに好意を匂わせていた。
寛美にも職場に仲のいい医師がいたが、飲みに行っても連絡先は知らなかった。亮にメールすることも少なくなっていたので、亮の携帯はその女で埋め尽くされているかのようだった。
寛美は呆然となり見てはいけないものを見てしまった罪悪感と、自分の知らないところで寛美の人生を狂わせる事が進んでいたことがショックだった。
亮がお風呂から出てきた。
寛美は携帯を元の通りに戻し、何事もなかったかのようにさやかを撫でていた。
「お風呂はいっておいで。」
「うん。」
寛美は膝からさやかをおろしお風呂へ行った。
さやかが静かに鳴いた。何かを知らせるかのような鳴き声だったが、それは小さすぎて2人には届かなかった。

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