真夜中の猫

胸さわぎ

寛美は次の日も時間通り17時からバイトに入った。
店はマスターとママさん夫婦が経営する小さなレストランだった。
客席は7席しかなかったが、地元の雑誌に載るほどの人気店で、ディナータイムはフル回転するほどの忙しさだった。
板張りの床と一段下がって大理石模様のピカピカの床で、熱帯魚が泳ぐ大きな水槽をブルーライトが照らしていた。
天井にモニターをつるし、洋楽や最新ヒットベスト30のミュージックビデオが延々と流れていた。
カウンターにはワイングラスが連なり、照明に照らされて綺麗だった。
寛美もオシャレな雰囲気をかもし出すように心がけていたが、バイトが終われば汗と油の臭いがしみついてしまっていた。

夜10時をまわり客もまばらになっていた。この日も伝票が山になるほど客が入り、寛美の足はパンパンだった。
洗い場の山積みの皿を片付け、テーブルのシュガーやストローを補充し、食後のコーヒーをいれている時だった。
「店の前にさっきから止まっている車、お客なら早くでてきて欲しいんだけど、まさか、寛美ちゃんのお迎えだったりして。」
厨房からは外の様子がよくみえる。
閉店間近の客は正直めんど臭かった。ママさんは寛美が失恋したことは知っているので、最後の方の言葉は無視して外を覗いた。
店の前は一方通行で向かい側の灯りもないところに確かに1台止まっていた。
「前のおでん屋じゃないですか?」
「寒いもんね。今晩も冷えるわ。」
「コーヒーいれましょうか?」
「お願い。」
マスターは先に上がっていたので女2人でコーヒータイムにした。
余裕のある時はコーヒーをいただきながら、ママさんの肩もみをしていろんな話をした。
「ねえ、あれ、どうだったの?」
和美がママさんに先週のナンパの話をしたらしい。寛美はちょっとめんどくさくなった。
「別に何もなかったですよ。ご飯食べて和美と相手の男が雰囲気悪くて、まいりました。」
「そうなんだ。いい出会いだったら良かったのに。」
「そうですね。まあ、まだいいかな?」
「恋を忘れるには新しい恋が必要よ!」
ママさんがすっと立ち上がって、帰ろうとする客のレジ打ちをした。
寛美は小さくため息を着いて皿を片付けに行った。
正直、まだ気持ちの整理がついてなかったし、人を信じるのが怖くなっていた。
ポジティブシンキングなママさんにはいつも励まされるが、今はそっとしておいて欲しかった。

「もう時間だよ。お疲れ様。」
「はーい、じゃあお疲れ様でした。」
11時になりクタクタのエプロンをはずし、ジャケットを着て入口から出ると、真冬の寒さが頬をさした。
吐く息は白くすぐに闇に溶けていった。
店の前に止めていた自転車にかじかむ手でカギを差し込みながら、さっきの車をチラリとみた。
特に変わりない、と思った次の瞬間暗闇から音が聞こえた。
誰かが呼んでいる?
それは舌を鳴らして誰かを呼んでいるようだった。
さっきの車の方からだ。
暗闇に目を凝らして見ると、そこには亮がいた。
両腕をくみ肩を竦め寒さをこらえていた。
そんな約束をした覚えはなかったが、バイトが終わるのを見計らってまっていたようだ。
親しいというほど話をしたわけではないが、寛美は自転車を押して近づいた。
店の厨房からはニヤニヤしたママさんの顔が見える気がして、振り返らなかった。
「どうしたの?」
亮は本当に寒そうだった。車の中でゆっくり暖まりながら話したいところだったが、寛美の自転車がそれを拒んだ。
「来週会える?」
白い息と共に亮の口から飛び出したのは唐突なセリフだった。
いま突然会って来週の話なんてする?
戸惑いながら答えた。
「来週もバイト。」
「分かった。また待っておく。」
それだけを言いに来たみたいに、じゃあ、と手を上げて車に乗り込んだ。
車のライトが暗闇の道に灯りをともした。車のクラクションが小さく鳴った。
運転席をみると、どうぞと手を出す亮がいた。
寛美は頭を軽く下げて自転車に乗って走り出した。
たしかに、自転車とは言えくらい道を通るのは怖かった。
いつもは通り過ぎる車のライトや街灯を頼りにしていたが、今日は温かいライトが寛美の背中をおしてくれた。
しばらくすると光は薄れいつもの闇のなかをはしっていた。
(何をしにきたんだろう)
躊躇する寛美に時間は厳しく、門限に少し遅れ頭を下げる羽目になった。
その夜はしばらく眠れなかった。
体は疲れていたので、ベッドに入ってしばらく来週のことを考えていた。
桐谷亮か、変な人。と、思い眠りについていった。
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