甘い恋飯は残業後に
「……本当に覚えてないんだな」
難波さんは呆れたように、深くため息を吐いた。
……居た堪れない。
「ゆうべ、桑原を送っていこうと一緒にタクシーに乗ったんだが、桑原が頑なに拒んで自分の家を教えなかったんだ。前に送っていったコンビニはわかるけど、泥酔状態に近い桑原をまさかコンビニ前に放置して帰る訳にもいかないだろ」
酔っていてもその辺はしっかりしていたのか、わたし。
何だかおかしくなって、口許が緩んでしまう。
「千里に電話して実家の方に送り届けようかとも思ったんだが、親御さんに余計な心配をさせるかもしれないし、娘はどうしたんだと訊かれた時、どう答えていいもんか、と思ってな」
そこまで考えてくれたんだと思うと、尚更居た堪れない。
「でも一応、桑原に聞いたんだよ。『じゃ、実家に行くか?』って。そしたら……」
何か言いにくいことでもあるのだろうか。難波さんはしまったという顔をしてそこで話を区切ると、コーヒーを口に流し込んだ。
「そしたら、なんですか……?」
恐る恐る、尋ねる。
そういえば、過去にも一度だけ記憶を無くしたことがあったのを思い出した。
確か、大学卒業間際のことだ。その時は通りのど真ん中で楽しげに踊ったらしい。後で友人から聞かされて、冷や汗をかいた。
さすがにゆうべは踊ってはいないだろうから暴れたのか、はたまた泣き喚いたのか。
続きを聞くのは怖かったけど、聞かないで悶々としているよりはましだ。それに何かしでかしていたのなら、難波さんにそのことも謝らなくてはいけない。