甘い恋飯は残業後に


わたしの家はここから歩いて五分程の距離にある、賃貸マンション。

大学を出てひとり暮らしを始めようとした時、父親が『セキュリティのしっかりした物件にしろ』とうるさく言ったものだから、当時は探すのに苦労した。

去年、マンションの二軒隣にコンビニが出来たおかげで、今は他の道より人通りも明るさもあるし、万が一何かあったら逃げ込めると思うと心強い。

……ああそうか。難波さんにはコンビニの前まで送ってもらえばいいのか。


ぼんやりそんなことを考えていると、「今日は桑原のおかげで、うまいものが食えた」と難波さんは真正面を向いたままそう言った。

この人、今日は一体どうしたのだろう。あまりに素直すぎて、かえって不気味だ。
おいしいモツ煮が彼の毒気まで抜いた……なんてことはないか。


「それを言うなら……」

言いかけて、わたしは言葉を飲みこむ。

あぶなく難波さんの素直さにつられてしまうところだった。

「なんだ?」

口ごもったわたしを、難波さんは訝しげに見ている。ここで素直にお礼を言ってしまうのは、これまでの彼のわたしに対する態度や、さっきの強引なやり方を考えると悔しすぎる。


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