歌舞伎脚本 老いたる源氏

明石の中宮3

源氏 確かにそうじゃ。だから申すのじゃ、入道殿の一念じゃと。
 不思議なことはもっとある。須磨に大風が吹いたとき父上桐壷帝
 の霊が現れて須磨を離れよ西へ行けと申された。ところがその時
 入道殿は又も大明神のお告げが出て嵐の中を須磨へ向かえと言わ
 れたそうじゃ。

中宮 大風の中をですか?
源氏 これも何度も聞いた。當に嵐の中を、その時さっと風がやみ
 光までさして海は穏やか、漕ぎいでた小舟に入道殿の大きな屋形船
 が近づいてきた。ところがじゃ、明石に着くころには一転にわかに
 掻き曇り又も大嵐になったのじゃ。不思議な出来事じゃった。

中宮 そうだったのですか。
源氏 まさにこのお方こそとの一念じゃ。わしもさらに驚いた。こんな
 片田舎に京にも勝る姫君がおられたからじゃ。そうは思わぬか母上を?

中宮 京にも勝る?
源氏 そのとおりよ。じゃがその頃京には疫病がはやり兄朱雀帝も眼病
 を患って世が乱れかかっておった。今度は帝の枕元に桐壷帝の幻が現れ、
 これも後からじかに聞いたことじゃが、源氏を呼び戻せと叫んだそうじゃ。

中宮 母上は?
源氏 そこよ。身重の母上を残しては行けぬ。といって謹慎の身でありながら
 女を連れて帰ってくれば都人の目も厳しかろう。そこで泣く泣く一人で帰った。

中宮 久しぶりの都はいかがでしたか。紫の上様は?
源氏 いやたまげた。美しくなりおってと正直思った。

中宮 でしょう。ほんとにきれいなお優しいお方でしたから義母上様は。
源氏 いや、今でもすまぬと思っておる。入道殿の一念はさらに激しさを
 増してわしに迫ってきたからじゃ。

中宮 といいますと?
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