聖乙女(リル・ファーレ)の叙情詩~奇跡の詩~
カイは逃げたかった。自分の予想から目をそらしたかった。今リュティアの命が危ないのだから、〈光の人〉探しなど後回しにしたかった。

しかし一刻も早く〈光の人〉を探し出さねば、ことはリュティア一人どころではない命に関わる。

リュティアの命、皆の命、それだけは最優先事項である。

苦渋の滲む心でここは二手に分かれるのが一番の得策であろうとカイは思った。〈光の人〉探しはアクスに任せればよい。自分の予想など無視するのだ。危険な魔月の王国のどこにいるかも誰なのかもわからない〈光の人〉を探すには、アクスのような洞察力、胆力、戦闘能力に優れた男が良い。自分の予想などあてにならない、ただの予想なのだから――

しかしカイにはどうしても、見た夢のことをアクスに打ち明けることができなかった。

アクスが自分と同じ予想に辿り着いてしまうかもしれないことが怖かったのだ。だから――

『アクスさん。どうしても、どうしても、今すぐ行かなければならないところがあるのです。リューのために。どこかは言えません。どうかリューを必ず救い出してください。よろしくお願いします』

とだけ言い残し、逃げるようにその場を後にしたのだった。

地形学を学んだことがあったから、コルディレラ山脈の見え方から、今いる場所のだいたいの検討はついた。カイはまっすぐに旧トゥルファンの王都に向かう自分が呪わしかった。

王都への道中ずっと、カイは自分の予想に苛まれ続けた。その予想を裏付けるように、この国は冷たい魔月の巣窟だった。

広がる寒冷針葉樹林帯に足を踏み入れれば、雪のように白い毛をまとった熊のような魔月にたびたび悩まされ、かつてトゥルファンと呼ばれていた頃使われていたであろう、打ち捨てられ半ば雪に埋もれた鉱山を仮の宿とすれば、こうもりの魔月に血を吸われそうになった。

通りすがったすべての町や村にもあらゆる種類の魔月が徘徊し、血まみれの人間の死体をどこかに運び込んだり、その場で気まぐれにばりばりと噛み砕いたりしていた。

一月近くかけてやっとたどりついた王都でもそれは同じだった。

王都では魔月の兵を見張りに立て、ある程度の秩序は保たれているようだったが、見ていればやはりすぐに血を求めて殺し合いをはじめ、ここが残酷な魔月たちの王国であることを実感させた。

つまり、生きている人間の姿など見当たらなかったのだ。

〈光の人〉がすでに死して魔月に食われているとは考えたくない。となると、魔月の王国に、ただ一人いる“人間”と言えば―――。
< 76 / 172 >

この作品をシェア

pagetop