虫の本
「う、美味いいいっ!」
「あんた、へこたれねーな……その魚を食って死にかけたんだろ? 肝が座ってるっつーか、何つーか」
「何言ってるんだ。肝は座る物じゃなくて、食べる物さ」
ニカっと笑い、刺身の一切れを口に運ぶルフ。
昇り龍の意匠が施された青い着流しの袖が優雅に揺れ、彼は再び「う、美味いいいっ!」と繰り返す。
小皿に盛りつけられた刺身は、瞬く間にその数を減らしていった。
そう、彼の命を救ったのは、瀕死の彼が毒沼の汚水と共に生きたまま捕らえていた毒魚、そのの肝から抽出された物質なのだ。
呆れ顔の少年はそんな事を知っているはずもないのだが、刺身をつまむ事に集中しているルフは、そこまで気が回らない。
「しっかし、ルフさんも命知らずっすねえ。生きたままのヘドゥオを丸かじりなんて、正気の沙汰じゃないっす」
「死なずに済んだんだから、結果オーライさ。ほれ、俺の奢りだ。食べておけ、恩人」
「い、いや……遠慮しとく」
ルフの薦めを、彼を人里まで担いで運んだ恩人、緑のパーカーの少年は丁重に断った。
それじゃあ、と差し出した刺身の一切れを頬張り、着流しの袖に描かれた昇り龍が次の小皿をロックオンする。
今しがた割り込んで来た声の主が持つお盆の中央、そこに鎮座している小皿がまさにそれだ。
無論、小皿の上には毒抜きされた毒魚にして珍味──ヘドゥオの刺身が盛られていた。
「で? 調理前のヘドゥオって、どんな味がするんすか?」
「なんだ、叶(カナエ)は食った事ないのか?」
「そりゃ、ヘドゥオは毒の強さと調理の難しさで有名な魚っすからねえ。死にたくないっすから、毒を抜いた物しか食べた事ないっすよ」
ニコニコと笑う釣り目の青年が口にした言葉は、ひどくもっともな意見だった。
彼、叶はここ“名も無き食事処”の料理人である。
街の超一流レストランからスカウトが来る程の腕前を持つ彼が、何故こんな辺境の小さな食事処で働いているのか、それを知る者はほとんどいない。
が、ともあれそれほど料理に精通している彼が、毒魚を毒抜きせずに食べて食中毒で死亡、なんて洒落では済まないのである。
富や名声に興味が無い彼にも、料理人としてのプライドはあるのだった。
「あんた、へこたれねーな……その魚を食って死にかけたんだろ? 肝が座ってるっつーか、何つーか」
「何言ってるんだ。肝は座る物じゃなくて、食べる物さ」
ニカっと笑い、刺身の一切れを口に運ぶルフ。
昇り龍の意匠が施された青い着流しの袖が優雅に揺れ、彼は再び「う、美味いいいっ!」と繰り返す。
小皿に盛りつけられた刺身は、瞬く間にその数を減らしていった。
そう、彼の命を救ったのは、瀕死の彼が毒沼の汚水と共に生きたまま捕らえていた毒魚、そのの肝から抽出された物質なのだ。
呆れ顔の少年はそんな事を知っているはずもないのだが、刺身をつまむ事に集中しているルフは、そこまで気が回らない。
「しっかし、ルフさんも命知らずっすねえ。生きたままのヘドゥオを丸かじりなんて、正気の沙汰じゃないっす」
「死なずに済んだんだから、結果オーライさ。ほれ、俺の奢りだ。食べておけ、恩人」
「い、いや……遠慮しとく」
ルフの薦めを、彼を人里まで担いで運んだ恩人、緑のパーカーの少年は丁重に断った。
それじゃあ、と差し出した刺身の一切れを頬張り、着流しの袖に描かれた昇り龍が次の小皿をロックオンする。
今しがた割り込んで来た声の主が持つお盆の中央、そこに鎮座している小皿がまさにそれだ。
無論、小皿の上には毒抜きされた毒魚にして珍味──ヘドゥオの刺身が盛られていた。
「で? 調理前のヘドゥオって、どんな味がするんすか?」
「なんだ、叶(カナエ)は食った事ないのか?」
「そりゃ、ヘドゥオは毒の強さと調理の難しさで有名な魚っすからねえ。死にたくないっすから、毒を抜いた物しか食べた事ないっすよ」
ニコニコと笑う釣り目の青年が口にした言葉は、ひどくもっともな意見だった。
彼、叶はここ“名も無き食事処”の料理人である。
街の超一流レストランからスカウトが来る程の腕前を持つ彼が、何故こんな辺境の小さな食事処で働いているのか、それを知る者はほとんどいない。
が、ともあれそれほど料理に精通している彼が、毒魚を毒抜きせずに食べて食中毒で死亡、なんて洒落では済まないのである。
富や名声に興味が無い彼にも、料理人としてのプライドはあるのだった。