虫の本
 話の流れからして、ワームとは恐らく“この現象”。
 ワーム──虫?
 なるほど、じわじわと広がる灰色の穴は、確かに古い本や服に見られる虫食い穴に似ていなくもない。
 決定的に違うのは、食われているのが本や服ではなく、世界そのものだと言う事。
 後は、肝心の虫の姿が無い事か。
 既に周囲の景色は、灰色の水玉模様に塗りつぶされつつあったが、それらは勝手に広がるばかりで、実際に何かの生物が食い荒らしているという訳ではない。
「しかし、代償が必要だ」
 思い出したように、天使は呟いた。
 俺も思考を切り替える──と言うか、戻す。
 肝心なのは虫食い穴なんかの事ではなく、この天使が何をしてくれるのか、なのだから。
 蘇生。
 彼は人を一人生き返らせようと言う。
 例えこいつが本物の天使だったとして、流石に無償とは行かないという事か。
 しかし代償って何だろう、と俺は考える。
 天使が日本円を欲しがるとは思えない。
 もしそうだったとして、俺の持つなけなしの貯金でどうにかなるほど由加の命が軽いとは思えない。
「代償……」
「代償として、我はお前の命を要求する」
 俺の呟きに、天使は当たり前のようにそう返してきた。
 おいおい、そう来たか!
 それじゃあまるで、悪魔の契約じゃないか。
 魂を売って、願いを叶える悪魔。
 いや、天使だっけ?
 どっちでもいいか。
 悪魔にだって魂を売っても良いと、さっき覚悟を決めた所じゃないか。
 動揺を隠せない俺を見て、天使はにやりと“らしくない”笑みを浮かべる。
 それは、慈愛とか高潔とか、そういった類のものとはかけ離れているように感じた。
「勘違いをして貰っては困るな。我は“再生天使”だぞ? 誰も犠牲になどしない。我は確かにお前から譲り受ける命のエネルギーを使って“再生”を行うが、我が“再生”を適用するのは二人である」
「二人? え、それってつまり……」
「そう、既に死したその少女と、我に命の灯を譲り渡したお前の二人を“再生”させる。その後は我と共に、この消えゆく世界から脱出して貰おう。決して悪い内容ではないはずだ」
 彼の提案は、御都合主義だった。
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