虫の本
 本当にそんな“0+1=2”みたいなインチキはあり得るのだろうか?
 でも。
 もしこれが本当ならば、間違いなく由加も俺も助かる事になる。
「安心するには早いぞ? 代償としてお前は一度命を落とさねばならぬ。その苦しみと恐怖は、お前の想像を絶する物となろう。その試練を乗り越える覚悟はあるのかね?」
「やってくれ。もうあまり時間が無さそうだ」
 俺は迷わなかった。
“再生”が嘘か本当かなんて、本当は関係が無いんだ。
 これに賭けなければ、俺は灰色に飲み込まれて消え去ってしまうのだから。
 由加を助ける事も、由加との約束──生き残るという約束も果たせないままに。
 辺りは既に、風景の五分の一近くが灰色に塗り潰されていた。
 このままじゃ、手遅れになってしまう。
 それは何より避けるべき事態だ。
 迷っている間に機を逃すなんて、愚かしい事この上ない。
 揺るぎ無く答えた俺に、再生天使と名乗った白い男は少しだけ驚きの表情を浮かべたが、すぐに元の無表情に戻った。
 俺の返事は彼が求めるものであったようである。
「賢明な判断だ、では早速始めよう」
 天使が右手を頭上に掲げる。
 その大きな袖口に隠れた手には、何か小さな物が握られているように見えた。
 …………?
 しかしそれに対して疑問を抱く前に、べり、と音がして空間に灰色の亀裂が走った。
 それは、天使の右手があたかも何も無い空間を切り裂いたかのように、彼の頭上に縦一文字に刻まれている。
 亀裂は次第に厚みを持ち始め、拡大した亀裂はすぐに小さな穴と姿を変えていた。
 あちこちで世界を侵している穴。
 その光どころか闇すら存在が許されぬ無の彼方から、一枚の羽が現れる。
 ……違うな、あれは純白の羽をあしらったダーツの矢だ。
 綺麗な羽飾りは三十センチメートル程の長さがあり、だからこそ一見しただけではそれがダーツの矢だとは気付きにくい。
 しかし、先端にはしっかりと鋭い針が、鈍い光沢でもって己の存在を主張していた。
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