虫の本

大樹の場合 3

 ……死んだかと思った。
 いやホント、これはヤバかった。
 眠くもないし貧血も無いのに意識が遠のくなんて、なかなか経験出来る事ではない。
 できれば二度と御免被りたいものである。
 辺りを見回してみれば、そこは暗い裏路地の一角。
 湿った空気が通り過ぎ、嗅ぎ慣れたかび臭いニオイに少しだけ安堵する。
 良かった、ここは俺の知っている場所だ。
 未だ全身は痛みを訴え続けており、思うように身動きは取れない事だけが、あの惨事が現実に起きた事だと告げていた。
 が、今回ばかりはその元凶の一端に感謝しても良いかな、と思う俺なのだった。
「すげーな、俺……生き残っちゃったよ」
「それは良かったです。しかし、決して安心できる状況ではありませんが」
 元凶の片割れ──目が覚めた時には、俺の傍らにはあの赤髪の少女が当たり前のように控えていた。
 無論、死を待つ暇すら与えられなかったはずの俺を救ってくれたのが、他でもない彼女だったのだ。
 生き延びた事に驚きつつも、俺はその事実を現実として受け入れているようだった。
「そーだ。あんた、無事だったのか? 何かヤバい目に遭ってたみたいだけどさ」
「リピテルと一戦交えました。惨敗した挙げ句に彼を取り逃がし、その結果……」
 リピテル──再生天使を名乗る男が俺達に追い付いて、由加を“再生”した、という訳だ。
 責任を感じてか、仏頂面を崩した赤髪は申し訳無さそうに俯いた。
「いーよ。あんたが居なくても、どーせあの糞天使は俺や由加を狙って現れただろうし」
 意外と冷静に状況を分析している自分に、嫌気が差しそうだった。
 昔からなのだ。
 状況が危機的であればある程、俺の心は冷たく沈み、冷めて行く。
 冷たく静み、醒めて行くのである。
「いてて……何だか急にあちこちが痛んできたな」
 目も醒めるような痛みだった。
 醒め過ぎだった。
 本来ならば、何が「この場は引き受けます」だ、由加は“再生”されちまったじゃねーか、お前の所為だ、由加を返せ、と掴み掛かってやるつもりだったのだが、この赤髪と向き合ってみると、そんな黒くドロドロとした感情は一気に霧散してしまっていた。
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