虫の本
 天使。
 再生。
 それは、奴が過剰なほど何度も繰り返し強調に強調を重ねた言葉である。
 そこには奴の負い目と言うか、引け目のような負の感情が含まれていたように感じたからだ。
 奴は呪っている。
 己の半分が鳥獣風情である事に。
 彼は憧れている。
 美しく聖哲に満ち溢れる天使という存在に。
 だから彼は、嘘を吐く。
 あたかも己が抱えた劣等感を、嘘という名のベールで覆い隠すかのように。
 ぐるりと世界が回転した。
 いや、回転したのは俺の方。
 三半規管がパニックを起こし、その次の瞬間には強烈な衝撃が全身を貫く。
 奴が力一杯俺を地面に叩き付けたのだと気付いたのは、体中のあちこちが痛みという名のレッドアラートを鳴らし始めてからだった。
 大丈夫だ、指先はまだ動く。
 つまり、地面に叩きつけられはしたが、俺の体は灰色の穴には触れていない。
 安心したのも束の間、一拍置いてから瞬きの時間だけ呼吸が止まり、そのまま意識が遠退きかけた。
 が、幸か不幸か背中から全身に広がった激痛が、俺の意識が途切れる事を許さない。
 いま意識を失っちゃ駄目だ──少し、もう少しだけ時間を稼がなくては!
「どこで」
「ガ──ぐっ……!」
 何とか返事をしようてして、俺は激しく咳き込んだ。
 羽野郎はそんな俺などお構い無しに、感情のままに俺に怒りをぶつけて来る。
「……どこで気が付いた」
 その長い“左腕”が、再び俺の首を狙って延びる。
 その台詞には既に余裕なんて欠片も無く、俺のでまかせによる仮説を否定しようとすらしない。
 俺に付け入る隙があるならば、その一点に他ならない。
 ならば、遠慮なく踏み込むのみだ。
「ずっと変だとは、思ってたさ……確信したのは赤髪の皇樹で逃げた後、じっくり考えてからだけどな」
 緩慢な動きで迫る奴の“左手”を、俺はひっくり返った体勢のまま両手で受け止める。
 が、そのまま馬乗りの体勢を生かし、奴の“左手”に力がこもった。
 片手だけだというのに、予想以上の馬鹿力である。
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