僕を止めてください 【小説】
夕方、水を飲むためにようやくベッドから起きた。死んだようにベッドに貼り付けられていたが、鎮痛剤が切れたのと、脱水症にならないためと、そしてトイレに行きたくなったのとで、なんとか3つくらいのモジベーションを積み上げて、やっとの思いで僕は布団の上から身体を起こした。このまま死ぬんだったら、それで済むんだけどな…と、僕はなぜ立ち上がらなければならないかその理由を曖昧に適当に探すふりをした。そして答えが出る前に探していることを忘却した。
鎮痛剤を飲んで、もう一杯水を飲んで、トイレに行き、洗面所の鏡を見て、ふと首筋の傷跡を確かめた。昨日のことが現実だったことを思い出させるように、穂刈さんがつけた鋭いナイフの痕が、まだはっきりと頸部の両側に3cmくらいの長さの褐色の直線で描かれていた。実際的なことを考えると、これを明日の出勤前までに隠さなければならない、ということだった。本質的なことを考えると気が狂いそうになるので、明日、職場の同僚にこの傷を見せないようにする方法を取り敢えず優先的に考えることにした。事態が切迫している割には大変逃避的な思考と言えた。
目立たないようにするには…
①肌色であること
②首に貼っていても問題なく自然であること
③大したことないと思わせるもの
④同僚への説明が短くて済むこと
…などが挙げられた。いろいろ考えた結果、肌色の薄型消炎鎮痛シップを両側の傷の上に貼り、誰かに訊かれたら一言“寝ちがえました”と言うことがベストであるという結論に達した。実際痛みもあるので、傷口をアクリルで塞いでその上から消炎鎮痛剤を貼れば一石二鳥である。実行に移すにはドラッグストアに買いに行かなくてはならなかった。僕はのそのそと着替えを始めた。外出着で寝たので、それと同じものに着替えて昨日の服は洗濯機に放り込んだ。
外に出ると雨は降ってはいなかったが、やはり蒸し暑く、耳の奥も肌も鬱陶しかった。痛みをこらえて自転車に乗ると漕ぎだしたら風が当たり、なんとか不快感は紛れてきた。