僕を止めてください 【小説】



「だいたい…あってます」
「そっかぁ。だんだん後遺症が大きくなってる気がしてるのは、私だけかな」
「…いえ…わかりますか」
「さすがに私も医者だしね。死体専門だとは言え」
「申し訳…ありません」
「まぁ、それについては君の就職前から江藤君に聞いてたからさほど驚きゃしない。逆にここまでやってくれるとは思ってなかったよ…失礼だけど」
「いえ…失礼なんかじゃないです。この程度しか出来ないのですが」
「問題はね、今後ここで君が具合の悪いの隠しながらずっと仕事していくのは骨が折れる話だなってことさ」

 ああ、やはりそうか、と僕は自分の推察に確信を持った。やっぱりどこに行っても僕は迷惑な人間だろう。堺教授は人が良いから、江藤教授のようにすっぱり“辞めて欲しい”とは言えないのだろうなと同情した。僕から切り出した方がいいのだろうか。でも僕のズル休みも、ちゃんと波紋になってる…均衡がこうやって崩れていくなら、まあいい。幸村さんには申し訳ないけど…と考えて、待てよ、と思った。

 ここで僕が解雇され、必然的に幸村さんと離れるならば、それも思えば願ったり叶ったりで、この状況は逆に僕にとって有利なのかも、と僕は思い始めた。僕の今後の対策がちっともまとまらないのも、案外、もう考えなくてもいいっていう暗示なのかも、と。僕は核心をなかなか言い出さない堺教授に、助力しようと口を開きかけた。

「では…僕は…」
「だからこれから長くここで勤めてもらうにはさ、体調悪くなったら隠さないでまず私に言って欲しいんだよね」
「え……」

 全く違うことを言い出した堺教授の言葉に、僕は意表を突かれて絶句した。 

「無理して我慢するからだんだん負担が大きくなるような気がするのよ。我慢して最後まで無理するより、ある程度記録だけ無くさないように最低限まとめたら、早退するっていうことも可能だからさ。ありがたいことに自殺の遺体は1ヶ月に多くても2人くらいだしね。他のスタッフには私から言っておくから…まぁ当たり障りなくさ。そうしてでも君にはそれなりの司法解剖数を担って欲しいんだ。これは君の自殺の鑑別能力だけじゃなくて、司法解剖全般の手腕を買っているからだからね。それから、もし君がなぜ自殺の遺体だと具合が悪くなるのか私に言えるなら、その話もいずれ聞かせて欲しいなぁ。完治とまでは行かないかも知れないけど、もしかしたら軽減する可能性もあるでしょ? そしたら君もこの教室にも利益になる。そう思わない?」

 ここで長く働いて欲しい…?

 それは今までの僕のいた社会の通念上、意外過ぎる提案だった。やめられちゃ困るから、負担が増える前にガス抜きしろという提案…なにこれ…堺教授本気なの? 僕みたいな変人が普通の人たちに迷惑かけてるのになんでこんな条件出せるの!?

「そう思わない? 岡本君さ」

 僕がぽかんとしているのを見て、堺教授はもう一度繰り返した。

「あ…はい」

 最近“あ…はい”しか言ってないな、と僕はここでも思った。






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