僕を止めてください 【小説】



 積極的に菅平さんとの会話を忘れるべく僕は鈴木さんの検査結果をPC上で考察しながら打ち込んでいたが、菅平さんもその後はまたいつものようになにも話さずに画像の整理を続けていた。そしてそのまま業務の終了時間になった。

「お先に失礼します」
「…お疲れ様でした」

 普段となんの変わりもない淡々とした挨拶をして、菅平さんは帰っていった。びっくり箱を3つほどひっくり返して僕を驚愕の渦に叩き込んださっきの話がまるで白昼夢みたいに思えた。片付けで検査室に再び篭っていた鈴木さんもその後姿を現し、机の上をパパッと整理すると、明るく「お先に〜」と言いながら退室していった。

 ひとりになったスタッフルームで、そのままデスクに座ってた。静けさがさっきの菅平さんの話をひとりでに脳内で甦らせ始めた。再生されたびっくり箱三つ分の中身は、僕の脳内で順不同でリフレインし続けていた。菅平さんの無謀な期待…アメリカ帰りの若手警察医…そして幸村さんの死因究明における画策…それを彼が僕になにひとつ言っていないことが最も不可解で、それが今までに無いようないわく言いがたい感覚を引き起こしていた。

 それなりの数の異状死体が法医学教室に持ち込まれる前に正しく死因を解明されている。

 なぜこんな当たり前で解決姿勢の現状に、こんな複雑な心境でいるのだろうと、僕は自分がどこかおかしくなったような気がした。同時に、幸村さんの今までの言動のすべての白黒が反転していくような異様な感覚が起こっていた。僕を犯したいなら、なぜ自殺の屍体を検案と検視で減らしているのか? いや、それは結果論だ。死因究明は検挙率や冤罪を防ぐためにも推進したいのはあの幸村さんなら当たり前に思うだろう。それで充実してきた検視が自殺の屍体を鑑別できているのは、従ってここに運び込まれてこないのは結果論に過ぎない。幸村さんにとっては望まれない結果論だったとしても。気づいた時には僕を犯すチャンスが激減していた。ガッデム。そう幸村さんは毒づいたりしたんだろうさ…

 いや。あの人がそれくらいの推測が出来ないわけがない、と僕はその推測を否定していた。あの人は人の話は聞かないがバカではない。利益や不利益についても目端が効く人だ。そうでなければ犯罪を究明することが出来ない。人はほとんど利益と不利益に振り回されて犯罪を犯すのだから。つまりそれは…詮索する必要もない、至極単純明快な解答のはずだった。

 




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