僕を止めてください 【小説】



 純粋に彼は検挙率を上げたかった。冤罪を減らしたかった。それが正解なのだ。そしてその事のほうが自分の性欲処理よりも大事だった。幸村浩輔という仕事人間なら確実にそう考えるはずだ。そう考えるのが当たり前と言える。結果、僕の負担が減った。自殺の屍体に気が狂うことが激減し、教室のスタッフは負担が減り、僕が幸村さんの来訪に煩悶することも激減したし、今後もそうなる。それはすべてにおいて、申し分のない結果だった。

 全くもってそうに違いない…と明快な結論に満足した後、僕の思考はいつの間にか新入りのアメリカ帰りの若手警察医のことに移行していた。幸村さんは彼のことも知っているだろう。知っているというより、既に何度も検視のときにその場に居合わせているはずだ。僕だけが知らなかったそのドクターは、この数カ月の間に所轄や県警の連中とも何度も仕事を共にして、成果を出し、その有能ぶりを発揮しているわけなのだから。

 幸村さんはそのドクターどんな話をしたのだろうか。どんな評価で、どんな期待をしているんだろうか。優秀で捜査に有益な仕事をする人材なら、幸村さんは当然信頼度も期待も大きいだろう。顔を見せなかった忙しい間、そのドクターとはどのように仕事をしたのだろう? しかし、そのドクターとおおむね同業とも言える僕に、なぜ“優秀な医師が検案してる事件”についてあの仕事人間が話をしないのだろうか…

 そこまで考えてハッと我に返った。なぜ僕が幸村さんとアメリカ帰りのドクターとの仕事振りをあれこれ気にしているのだろうか。気にする理由は…そう、幸村さんは僕より彼と仲良くしてくれる方が平和だから、だろう。僕より優秀であって欲しいし、幸村さんとこの先どんどん仲良くなってくれることを期待したい、と僕は思った。

 佐伯陸が以前言っていたように、“いい仕事してる人見つけると、だいたいそれで好きになる浩輔の悪いクセ”とやらが出て、なんでもいいからその人のことでも好きになってくれたら、僕への(不毛な)愛とやらが穴の開いた風船のようにシューッとしぼんでくれる可能性もあるわけなのだ。そのドクターが僕より断然優秀であれば、その可能性は大きくなっていくに違いない。どのみちその人といずれ僕は会うことになるだろうし、どれほどの能力なのか知っておいても今後の展開に差し障りはないはずだ。まずは堺教授にそのことを聞いてみるのがいいだろう。なぜ僕にその話をしなかったのかもわかるはずだ。







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