僕を止めてください 【小説】
しばらくして、あれ? と僕は再び我に返った。待て待て待て。僕はいま不用意に誰かと関わろうとしてるんじゃないか? ダメでしょうそれは! 僕は慌てて他人への意識を回収して、認識と期待を修正するように自分に求めた。危ない…菅平さんショックで、他人のことに気を取られる回路を閉じるのを忘れている。やれやれ。捜査に支障が出なければ、そして業務に滞りが出なければ、他者への余計な接触はNG…わかってるだろう? 僕。これも菅平さんがあんなことを…しかもあの菅平さんがあんなことを言うから。ああ、本当に驚いた。人生何が起きるかわかったものじゃない。
変な気分はまだ続いていたが、それを違う情報で上書きするように、堺教授のみならず菅平さんの期待する“講師”の可能性について、既に過去、何度も繰り返した結論を確認し始めていた。
誰に何を言われようとも、僕に堺教授みたいな責任のある法医学教室のリーダーシップなど出来ようはずもない。コミュニケーションは最悪、人を怒らせることのほうを得意とする。いつ安全に人と関われるかは神さま次第。最悪の場合、教え子が死ぬ。そして教えようもない、屍体に対しての自分の固有かつ異常な感覚。理論や考え方や観察法なら教え様もあるが、なにしろ自分しか持っていない脳の異常性と特殊性に依存した感覚をどう教えろというのだろう。よって僕くらい他人の教育に向かない人材はいないだろう。はい、終わり。
こんな社会不適合者の僕なんかより、コモン・センスに優れ、有能で教育に熱心な、少なくとも僕よりマシな法医学者なぞいくらでも居るだろう。堺教授は確かにもう何年もこの教室にはいられない年齢となっている。だが、僕を期待に答えさせるのと、教授のポストを募集して、学生にとって有益なその人に慣れるのと、どちらがこの法医学教室で合理的か、現実を直視して冷静によく考えて欲しいと、菅平さんに心の底からそう思った。もちろん、堺教授にも。
とはいえ、こんな特殊な事情を想像して、ああ、岡本君には教育職は無理だね、などという結論を期待するほうがむしろおかしいことも承知している。自分しか知らないことが、そして伝え辛いことが多すぎる…と、僕は再び自分の来歴を呪った。そして、この前の幸村さんの騙し討ちの約束で、この伝え難いあれこれをあの人に話さなければならなくなるということを不意に再認識して、混乱気味の今の精神状態にムダに重さを加算していた自分がいた。