僕を止めてください 【小説】
帰宅した後、自炊の夕食が終わり、風呂に入り、そのあと大学の電子図書館から自分のパソコンにダウンロードしてクラウドのファイルに保管していたアメリカの研究施設の法医学論文を自宅のパソコンで読んでいた。
元の論文自体は何年か前のもので、法医学会では有名な論文であるし、僕は既に読んでいるのだが、1年ほど前にそのデータを元に大変便利なソフトが試作されたというニュースが学会で発表された。腐敗した屍体は段階的にその時期その時期に特有の化学物質を生成し放出する。それを“DEATH laboratory”(「屍体ラボ」的な命名)と呼ばれる試験場において、実際の死体を様々な環境で腐敗させて採った膨大なデータを分析し、法則性を抽出、それぞれの条件をアルゴリズムで計算し、逆算フローチャート化して表示してくれるという夢のような死亡推定時刻分析ソフトだった。但し英語のみ。そしてめちゃくちゃ高価。ただ、お得意先はFBIやCIAというのだから、その価格でも当たり前といえば当たり前だった。
実際の腐乱死体から採取したデータと発見した年月日や期間内のその地方の天候と気温の推移、屍体の遺棄場所など様々なパラメータをボックスに入力すると、蓄積されて記録されている過去のデータの中からそれに近いケースが近い順に検索されて並べられる。但し正確性はまだ68%で、とんでもないあさっての珍回答も10%ほど弾きだしてくれるので、参考にするのはよろしいが、全幅の信頼を置くものでは決して無いという、まだまだ発展途上のソフトではあった。
それでも50%をかなり上回るソフトの分析能力は、司法解剖でも全く手がかりのない身元不明屍体のいくつかを、重要な事件と結びつけて事件解決の糸口となったりした。逆にミスディレクションとして機能してしまい、捜査の誤った方向性を生むこともあり、初期のそんな出来事は改善の余地を大いに示唆することにもなった。
ソフトは手に入らないが、ソフトを使った捜査の実際についてのレポート論文がこの前大学の電子図書館に入ったと堺教授から教えてもらった。しばらく忙しくて手を付けていなかったが、昨日の腐乱自殺屍体の件で、そのダウンロードは絶妙なタイミングだったと気がついた。今日鈴木さんと検査の意見交換をしている時に、ふとこのレポートを思い出したのだった。今日菅平さんから聞いた余計なことを考えたくないのもあって、僕はしばらくこのレポートで精神の平安を図ろうとしていた。