僕を止めてください 【小説】
しばらく読んだところで、遺棄された屍体は殺害後移動されたものだった、という記述に当たった。殺人だった。犯人が捕まって自供してみれば、最初は家屋の中に隠してあったものを、屋外に移動し、国立公園の中に遺棄したというものだった。内容はこんな感じだった。
『このパラメータは複雑で、一箇所に固定して遺棄されたり、同じ公園エリアの中での移動でもない。そしてこのケースは天候が関与していて、アルゴリズムがほとんど正しい計算が出来ず、全く見当違いの結論を弾き出し、熟練の法医学者の死亡推定日時とはかけ離れた数字を出してきたというものだった。雨季と屋内と屋外の移動が重なる。屋内での遺棄期間は雨でなく、見せかけの晴れという天候になる。しかし気象情報はその日も次の日も雨。そして何日も続く雨季のさなか、雨を押して犯人は50km離れた国立公園に屍体を捨てに行く…』
雨か…と僕はこのしばらくの天気を振り返った。雨天では腐敗が進み、化学物質が雨水で流される。捜査では犯人の足跡なども消える可能性は高いし、警察犬も臭いの追跡を撹乱される。しかし例の老女の自殺屍体の発見された山岳地域と僕のいる街地域ではかなり気温も天気も違う。そこら辺は科捜研がカバーしているだろう。その認識をこちらと共有できているかは確認が必要だ。依頼した屍体の下の土壌分析はどのくらい役に立つか、今のままでは不明だった。
明日は所轄にそれらを確認し、そこに現場の気象情報を詳しく取得してから考えようと、論文を見ながら考えた。海で自殺した彼女…名前を忘れたが…みたいに、事件現場は遺棄現場から遥か遠いかも知れない。その可能性は高い。そこをどうやって突き止めるか。身元を骨の創傷の痕跡から特定できればいちばん早いのだが。それがダメとなると、今回の事件は身元の特定からしてかなり難航するな、と僕は思っていた。
キリのいいところまでと読み進みながら、ふと、この論文を英文のままあのアメリカ帰りのドクターはあちらに居た頃から読んでいたのかな、と思った。もしかしたらこのソフトを使って屍体を分析したことだってあったかも知れない。それに僕が中学生の頃読んでいたような“検屍官もの”の推理小説のような捜査が実際行われているのか機会があったら聞いてみたいものだ…などと、取り留めもないことを考えた。ガチのサイコパスの連続殺人なんかを扱ったりしたのかな? それとも…
そんな取りとめのない想像に気づいて、僕はそれらを自分の胸の内にしまった。関わるキッカケなど無いに越したことないんだから。モニター越しに河鍋暁斎の髑髏と蜥蜴が目に入った。死神さんは僕を本当に解放する気はあるんだろうか。それは僕にとって“死神を本当に辞めたいのか?”という問いでもあることに、不意に僕は気づいてしまった。