僕を止めてください 【小説】
だがなぜ、今ここで僕はまた考えているんだろうか? それも“死神を本当に辞めたいのか?”などというもう結論を出し終わった答えについて。だが、胸の中がモヤモヤしてきた。出し終わった結論、と心の中で言ったそばから、僕の深いところでは“いいや違う”となにかが囁いていたからだった。
“僕は本当に死神を辞めたいのか?”
その問いは、まるで“そろそろ本当の理由を思い出した方が良いよ”というような、PCアプリのリマインダーのポップアップみたいだった。それは本当はリマインダーではなく、PCウイルス感染の警告なのか、それともアップデートが来てますよみたいな変容の前触れなのか、ただの潜在意識の整理整頓なのかはにわかに判別がつくものではなかったが。
“死神”という言葉は自分で言い出したものではなく、僕の代名詞として隆から貰ったものだった。僕が自分を死神だと認識する前に、隆は僕を「大事なものを奪っていく死神」に喩えた。それ以前に佳彦は、自分を犯罪に誘い殺人を唆す悪魔と言った。ネガティブな分野の中で、短期間で悪魔から神に格上げされたと言えよう。少なくとも隆より佳彦の方が危険を察知してそれを回避する能力値は上だった。だから追い込まれる前に僕を拒絶できた。だからまだ僕は佳彦にとって神よりも格下の“悪魔”でいられたのだろうか。
とは言え、あの典型的なサイコパス人格の佳彦から“悪魔”などと呼ばれるとは、僕も犯罪心理分析官から見たら、なんらかの犯罪性気質を有するなどの判定を下されるのかも知れないな…などと、いろいろ考えているうちに思考が論点が少しずれ始めた。だがそれで僕は、ふと大学の心理学の授業で紹介された様々な犯罪心理学の、ある分析手法について思い出した。
人間には自己パーソナリティ、つまり自我として自分を認識している表面意識上の人格というものと、意識化されていないが、行動や判断や思考に影響を及ぼす隠れた人格というものを多数有しているというものである。そして、潜在意識に隠された人格はそれぞれがそれぞれの理由で自己の利益を追求していて、それは大概が表面の自我とは異なった目的と理由を持っているため、合理性に欠いた行動をとってしまったりする。
つまりそれは、人が何らかの行動をとっている場合、それが現実的に不合理で不利益であったとしても、そこにはその人間の潜在意識のレベルに於いては、利益があるから行われる…といった考え方である。