冬夏恋語り


はぁ……と誰にも気づかれないようにため息をつく。

積極的な参加ではないので、男性の経歴も名前もちゃんと覚えていない。

ひっそりと控えめに目立たないよう心がけ、できるだけ言葉も慎んでいたのに、そんな私に声をかけてくる男性がいた。

苗字は覚えていないのに、彼の名前を覚えていたのは、西垣さんと同じ名前だったからに過ぎないのだが……



「小野寺さんはどれがいい? みんな選んだよ」


「タケシさんと同じものを」


「わっ、名前呼びしてくれるんだ。感動!」


「あっ、すみません」


「じゃぁ、俺も名前で呼ぼうかな。深雪さんだったね」



しまった、と思うまもなく指摘され、なぜかみんなで大盛り上りとなった。

別れたばかりの彼と同じ名で、それで覚えてしまったのに、親しみを持ったと勘違いされ、困ったことになりそうな気配だ。

あぁ、どうしよう……と顔をしかめていると、今度は薄い壁を隔てた隣の部屋から 「リョウ君ってさぁ」 と聞こえてきた。

リョウ君って、まさか東川さんじゃないでしょうね、なんて、あるはずもないことを考えていると、次は 「コウジロウさんですか」 と、よりによって父と同じ名前が耳に入ってきた。

耳慣れた名前に囲まれて、居心地の悪さに逃げ出したくなったとき 『タケシさん』 にささやかれた。



「僕と抜けませんか」



つい最近も聞いた台詞だわと苦笑しながら 「抜けるんですか?」 と、常磐さんにも言ったように聞き返すと、



「コーヒーでも飲みませんか」 



先日と全く同じ言葉が返ってきた。

別れたばかりの彼と同じ名前を持つ男性に、先日の出来事をなぞるようなことを言われて、奇妙な感覚にとらわれた。

はい……と返事をした私は、数分後、タケシさんと一緒に席を立っていた。




いまだに苗字を思い出せない 『タケシさん』 と歩きながら、自分のことばかりを熱心に話す彼に、ただ相槌をうっている。

仕事はさっきも話しましたが、とにかく忙しくて……と言うが、話を覚えていない私は 「えぇ……」 と知った振りで話を合わせるだけ。

職場ではこんなポジションで、後輩とか同僚に頼りにされているんですよと、鼻につくような自慢話もあったが、聞き手に徹したい私にとっては好都合だった。

深雪さんは社長令嬢だってねと言われたときは、えぇっ! と叫びたいくらいに面食らった。

父が社長を務めているため間違いではないが、「小さな事業所です」 と事実を述べたのに、

「深雪さんは謙虚だね。お父さんは、手広く事業をしていると聞いたよ」 と、誰から聞いたのか誤った情報を鵜呑みにした 『タケシさん』 によって、私は謙虚な社長令嬢に仕立てられていた。 

訂正する気力もなく黙っていると、見た目とか性格も大事だけど、僕はちゃんとした家庭の子と付き合いたいんだと、彼女を選ぶ基準を私に語るが、彼の言う、「ちゃんとした家庭」 の基準はよくわからない。

「深雪さんは、見た目も性格も僕の好みだな。今夜の出会いに乾杯したい気分だよ」 と歯の浮くようなことを言われ、しらけた気分になった。



「もう歳ですから……」 


「30歳くらいが、僕にはちょうどいいんだ」



あなたは良くても、私はよくありません……と言いたいのに言えない。

同じ 『タケシ』 でも、西垣さんは家庭環境や容姿を引き合いに出すことはなく、私自身を見てくれていた。

西垣さんの良さをいまさら思い出してもどうにもならないが、西垣さんを思い出すほどに、ここにいる 『タケシさん』 は面白みのない人に思えてきた。


< 46 / 158 >

この作品をシェア

pagetop