冬夏恋語り
何処へ行くのかも考えず、『タケシさん』 について行くと、やがて細い路地に入っていった。
奥まった場所にある、知る人ぞ知るコーヒー店にでも連れて行ってくれるのだろうかと思っていると、顔を前に向けたまま 「いいよね」 と同意を求められた。
「はい?」
「そのつもりでついて来たんだろう?」
「そのつもりって……コーヒーを」
「本当にコーヒーを飲むつもりだったとか? まぁ、それもいいかな。僕の部屋に行く?」
「はぁ?」
まだ状況を飲み込めない私へイラついた顔を見せた 『タケシさん』 は、乱暴に手を取り歩き出した。
行く手に怪しい明かりの看板が見え、そこで危うい事態になりかけていると気がついた。
『タケシさん』 の手を振りほどこうとするが、男性の力にかなうはずもなく余計に強く引っ張られた。
とっさに 『タケシさん』 の足をヒールで踏んだのは、短大の講義で受けた 「身を守るための方法」 のひとつを思い出したからだ。
女性の靴のかかとは細い、一点に集中したかかとには思いのほか力がかかるもので、集中力もこのように一点に集中させれば覚えも良いものだ……などと、たとえに首をひねるような講師の解説だったが、「危険なときはヒールで踏みつけなさい」 の教えだけは、強烈に頭に残っていた。
講師が言ったとおり 『タケシさん』 は痛みに気を取られ手を離した。
スキを見て逃げる私に 「深雪さん、こっちにきて」 と声がかかった。
聞き覚えのある声の方へ逃げると、駆け寄ってきた声の主の手に引かれて、懸命に路地を駆け抜けた。
大通りへ出たところで彼が立ち止まった。
私も足を止めたが、息があがり思うように声が出ない。
「どうしてあんな男についていったんですか!」
「はぁ、はぁ……東川さん、どうしてここにいるの?」
私の名を呼んで危機を救ってくれたのは、東川さんだった。
さっきの店の隣の部屋から 「リョウ君」 と聞こえてきたのは、やはり東川さんだったのか。
「私と同じ店にいた?」 と聞くと 「そうですよ!」 と大声で怒鳴られた。
「俺のことより、深雪さん、合コンなんかになんで行くんですか」
「なんでって、従姉妹のダンナさんに頼まれたの」
「はぁ? 頼まれたら行くんですか!」
「だって……困ってるみたいだったから……」
「誰が困るんです」
「従姉妹のダンナさんの会社の先輩の彼女さんが、彼と付き合うことになって、それで、合コンに行けなくなって、代わりの人を探してて……頼まれて、断れなくて……
でもね、同情とかじゃないの。なにかにトライしたくて」
「なんですか、それ。わけがわかりません。深雪さんだって結婚するんでしょう!
そんな人が、合コンに行くのって変ですよ」
通りには、それなりの数の人がいて、私たちをジロジロと見ながら通っていく。
その視線に耐えながら、私は 『タケシさん』 の魔の手から助けてくれた東川さんに怒られていた。
「変っていうけど、頼まれたら断れないでしょう」
「断ればいいでしょう!」
「だって……言えない……彼との結婚もなくなったから……」
「結婚をやめたら、なにをしてもいいのか! やけになるなよ」
急に乱暴になった東川さんの言葉を聞いて、涙があふれてきた。
目に溜まった涙がこぼれると、抑えていた感情が溢れ出し、私はその場にしゃがんで泣き出した。
「えっ、ちょっと、どうしたんですか。深雪さん?」
一緒にしゃみこんだ東川さんは、私に声をかけながらオロオロしている。
怒られて悲しくなって泣いたのではない、東川さんが遠慮なく叱ってくれたことで我慢も限界になり、涙腺が崩壊したのだ。
私は、こうして怒ってくれる人を待っていたのかもしれない。
東川さんの腕に抱えられながら、私は大泣きに泣いていた。