冬夏恋語り


風鈴の音に和んだ耳に携帯の着信音は刺激的だった。

慌てて画面を確認すると、西垣さんからメールが届いていた。


『深雪がお父さんに怒られたのではないかと気になり、午前中は仕事が手につかなかった』


メールに彼の想いを感じながら 『少し小言を言われたけれど、大丈夫でした』 と安心させる返信をすると、電話がかかってきた。



『いま話せる?』


『少しなら……』


『仕事中だったのか、わるい。少しだけ。

深雪のお父さんって、時間とか規則とか、そういうの厳しいだろう。

簡単に許してくれないだろうと思ったけど、怒られなかったの?』


『友達が一緒だったと言ったら、わかってくれたから』


『本当に?』


『はい』



いつもなら彼からの電話は嬉しいはずなのに、こうしている間にも東川さんから連絡が入るのではないかと気が気ではない。

少しだけと言いながら、本当に怒られなかったのかと繰り返し聞かれ、早く電話を終えたい思いから私は大丈夫と繰り返し返事をした。



『そうか、わかった。うん……決めた。今度帰ったとき挨拶に行くから』


『えっ?』



聞き返したのに私の声は届かなかったのか、西垣さんは 『また電話する』 とだけ告げて電話は切れた。



挨拶って?

今度帰ったら、どこに行くつもり?

いきなり父に挨拶に行くとか?

まさか……


彼が何を決めたのか、電話をかけなおして言葉の真意を確かめなければ、それこそ午後の仕事が手につかなくなる。

東川さんの電話を待っていたが、それどころではない。

瞬時に優先順位が入れ替わった。

西垣さんへ電話をするために携帯を操作していると、その最中に東川さんから電話がかかってきた。

着信を切ることもできたのに、私はとっさに電話に応答していた。



『小野寺です』


『東川です。今日の夕方、時間がありますか』


『夕方ですか? はい』


『話があります、俺、駅前のスタバにいます。

6時には行けるので、三階席で待っててください。

社長には許可をもらっておきます。じゃぁ』



用件のみを告げた電話は、私の返事も聞かずに切れ、ツーツーと虚しい音だけが聞こえてきた。

東川さん、僕じゃなくて、俺って言った……

そんなことが頭に残り、西垣さんへ電話しなければという思いは、どこかへ消えていた。

男性二人の電話に翻弄された昼休みだった。






夕方のコーヒーショップは混雑していた。

一階席はすでに満席、カウンターには注文の順番を待つ人の列ができている。

階段を上った二階席は、2、3人連れの客でほぼ埋まりにぎわっていた。

さらに上の三階席は、長く腰を据える人が好む場所なのか、勉強道具を広げる高校生や書類と
格闘中のビジネスマン、本を片手にコーヒーを楽しむ人など、いわゆる 「おひとりさま」 の客がいたが静かな雰囲気で、私は窓際の隅の席へ向かった。

運んできたトレイをテーブルに置き席に落ち着くと、エスプレッソマキアートをひと口飲んだ。

待ち合わせの時刻まで、まだ10分以上ある。

手持ち無沙汰の人がみなするように、スマートフォンを手にネットをのぞき、画面をフリックしながら溢れる情報をなんとなく眺めてすごした。



昼休み、東川さんとの電話のあと、しばらく気持ちが沈んでいた。

今日の夕方時間がありますかと聞かれ、いきおい 「はい」 と返事をしてしまった。

私に話があると言っていたが、話があるのは私の方で、東川さんの用件に心当たりはない。

どんなお話ですかと聞き返せばよかった、どうしてもっと要領よくできないのだろう、と自分の性格を嘆き肩を落としたところで、西垣さんに電話をするつもりだったと思い出した。

あれもこれも一度に押し寄せると、おろおろするばかり。

それでも、ひとつずつ片付けていかなくてはと思いなおし西垣さんに電話をかけようとして、昼休みが終わりに近づいていることに気がついた。

結局何もできないまま昼休みは終わり、午後の仕事に戻ったのだった。


デスクに座ったが仕事ははかどらない。

ふがいない自分に落ち込んでいると、機嫌は悪くないが少しすねた父の声が飛んできた。



「深雪、話があるから夕方おまえと会ってもいいかと、東川君から電話があった。

社長の許可をいただきたいのですがと言うじゃないか。律儀なヤツだな」


「深雪ちゃんを誘うときは許可を得ますって、今朝約束したばかりですからね。

これじゃ、社長も断れませんね」


「うーん……仕方ない、許すか」


「良かったわね。夕方、堂々と出掛けれられるわね、深雪ちゃん」


「えぇ、まぁ……」



在職20年を超えるベテラン社員の岡田さんは、唯一父に意見できる人で、許可をと言われても、そうたびたびあっては困るのだがと、顔をゆがめる父をやんわりと説き伏せてしまった。

夕方になり、「今日は残業はなしよ。帰りましょう」 と岡田さんに背中を押され、私は出かけてきたのだった。


岡田さんのように、自然体で振舞えたらどんなにいいだろう。

そう思いながら、岡田さんを羨む自分も嫌になる。

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